(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

私は今、怒りの炎でハチ狂わんばかりです(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

事の経緯は以下です。

私の勤務する会社で、3人のコロナ感染が判明しました。その後も感染は広がって、最終的には感染者7名、濃厚接触者に至っては10名以上という事態に。

これを受けて私たち職員は、マスクも二重、消毒も今まで以上の厳格さ、その他諸々、大変なドタバタぶりだったのです。とにかく、スケジュールも狂いに狂ってとてもじゃないが平静でいられない。

でも、このご時世だし、ある意味仕方ない面もあるのかな、と、半ばあきらめ、達観していた面も私にはありました。今日の夕方、ある情報を聞くまでは。

今日の夕方、今回の感染拡大の原因を同僚から聞きました。

なんと、ある職員が、発熱の症状があったのにもかかわらず、勤務していたと!!

この話を聞いて私の中で何かがキレました。

ふざけるな!!
ふざけるな!!

発熱症状があったのに勤務してただと!?(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

たいがいにしろよコラ!!

おれらがあんた一人の不注意のせいで、どんだけ迷惑被ったと思ってるんだよ!!

ああーーーーーーーー!!!!

はらたつーーーーーー!!!!

〜〜〜〜〜
今でも怒りの炎が燃えたぎっています。
こうして書き出せば少しは鎮まるかと思いきや、ますますますます腹が立ってくる。
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フーー

〜〜〜〜〜
しかし
『奇跡講座』的に言うと、「怒りは決して正当化されない」し、今回の事件でも見事に
「被害者vs加害者」の構図が出来上がっている。つまり、自我の力動そのものである。

自我は、私たちをこの世の問題に縛り付けたいのだ。今回の私のケースで言えば、私たちが被害をこうむった無垢なる者たちであり、この職員が非難されるべき加害者となる。

私たちがこの加害者を十字架につける限り、それは私たち自身をも十字架に縛り付けることになるのだ。こうして被害者vs加害者ゲームがエンドレスに続き、自我の政権?は安泰となる。

理論的にはそうなのだろう。しかし、現実的に私たちの被った労苦を鑑みるに、とてもじゃないが冷静ではいられないのも本音である。

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・・・というのが現在の心境です。

ふと、どこかの誰かの怒りも、状況は違えど、今の私の「怒り」と、心の状態は同じなのではと思いました。そして、怒りを感じるのも自由だけど、みんな等しく、それとは別の選択肢がある。別の道がある。心穏やかになれる道がある。そしてその道こそが、真の幸せへと繋がる唯一の道なのだと、改めて思い直しました。

今回、腹が立った、ハラワタが煮えくり返ったのは事実ですが、その怒りを否認せずに、素直に認めて、そして、さらに投影することのないように、しっかりと心の中を見つめ、聖霊と共に、イエス先生の手を取っていきたいな、と思いました。

(2022年7月 by DTA1973)