真の問題

先日職場に見知らぬ人がやってきて、同僚と話していた。

その見知らぬ人は、昔私が憎んでいたAさんに似ていて、その時の憎しみがありありと蘇ってきた。

Aさんはすでに退職し、ここにいるはずがないのに、心の動揺がおさまらなかった。

私はAさんを赦したふりをしていたが、まだ全然憎んでいた、そのことに気づき、正直に認めて、それを聖霊のもとに運んだ。

そして、【質問】No.58 憎しみを消すためには、どうすればいいのかを読み返してみた。

あなたは、その人についての知覚を変化させるための助けを求め続けていますが、それは真の問題ではありません。あなたが求めるべきは、あなた自身についての知覚を変化させるための助けです。というのも、あなたが自分の外側のその人に転位させ続けている憎悪は、本当は自分自身に向けられているものだからです。

私が求めるべきは、私自身についての知覚を変化させるための助けであるという指摘にハッとする。

私はAさんを憎んでいたのではなく、私自身を憎んでいる。

その憎悪の根底には、私の利己性があるように感じた。

そのように認識が変わるだけで、憎しみが緩んで解けていくように感じた。

今思うとこれが、赦しの第1ステップではないだろうか。

その愛とつながることを通して、あなたは、愛を破壊したことについて抱いている自己嫌悪に正当性があるかどうかを疑い始めます。あなたが必要としているのは、この知覚の変化を起こすための助けです。というのも、あなたはそれを自分ひとりで行うことはできないからです。

聖霊と繋がることで、私の中に利己性があるという認識の正当性も揺らぎはじめる。利己性を聖霊とともに見ることを続けた。これが第2ステップのように感じる。

気がつけば、A氏への憎しみはどこかに行ってしまって、A氏もまた私と同じ間違った心を選択していただけなんだなという認識がやってきた。その認識とともに微笑みが湧いてきた。これが正しい心を選択したということのように感じる。

なんとこの質問の回答は、憎しみという題材を用いて、赦しの3つのステップを解説していたのだ!

今更ながらワプニック解説の深淵さに、敬意を抱きました。

 (2021年11月 by ようすけ)