「聖性の反映」
私は以前、愛に包まれた素晴らしい体験をしたことがあります。
感じるのは愛と感謝だけでとても幸せで、ずっとこのままでいたい、他のことにはもう関心がない、そんな状況でした。
けれどそのような素晴らしく幸せな体験をした後にゾワッとする恐れを感じたのです。
私は確かに癒されることを望んでいるけれど、自我としての私はそんなことは望んでおらず、自分が消えてしまうことを恐れています。神の愛を求めていながら、それをとても恐れているのです。
ちょうど一カ月前ぐらいからだったと思いますが、私は〈特別な関係〉にどっぷりと浸かっていました。
テキストも読む気にならず、フォーラムを覗いてもサッと目を通すだけ。
〈特別な関係〉であることは自分でもわかっていましたが、その時はあまりにも強く惹かれていたので、そのまま楽しむことにしました。
そうすれば、そのうち飽きるだろう、と思ったのです。
(その結果、YouTubeやツイッターを見ている時間が長くなりました)
〈特別な関係〉を楽しんでいる間、夫のことにとても苛立つようになりました。
同じ空間にいることが耐えられない、私の視界に入らないで欲しい、という、まさしく憎悪という言葉がぴったりな感情を感じ、この時は苦しかったです。
夫のことは長い間赦しに取り組んできて、だいぶ赦せるようになったつもりでいたけど、
まだこんなにあったんだなぁ、とただ見ていました。
そのうちある時、〈特別な関係〉に対し、あれ?これはなんか違うな、という感覚になり
執着が自然にポロッと落ちました。
そして夫に対する憎悪も感じなくなりました。
今になってみればあれは何だったのか?と思うような感じなのですが、
自我を選びたい、イエスの教えには従いたくない、という気持ちがどれ程強力なものなのかを痛感しました。
今はテキストを読む気になれない状態からは抜けられました。(と思います)
これからもこういうことを繰り返していくんだろうなぁ、と感じているところです。
(2022年6月 by たんぽぽ)

