受け入れる度合いが増していく旅

冊子、「聖霊のレッスン」をP30まで読んでみて、結構色々なことを感じたのですが、一番強く感じたのは、「死」ということについてです。

P24

(A.1:1)

あなたの肉体と自我と夢が消え去ったとき、あなたは自分が永久に続くと知るだろう。

ここにもの凄い抵抗を感じます。

みぞおちのあたりが、きゅ〜っと痛くなります。

P27

「死を通して達成されるものなど何もない。死は無だからである」という文の中の「死」というのは、自我そのもの、また、自我の思考体系全体を指しています。

理論としては、そういうことなんでしょうけれど、

私は肉体と一体であると今は信じているし、「死」とは肉体の死であると考えてしまうし、

肉体の死をとても恐れているので、死は無である、という言葉が受け入れられません。

P29

(A.1:5)

私達が同じ心を共有しているのであれば、私が死を克服したのだからあなたも死を克服できる。

この言葉に少しは慰められるかな、と思ったのですが、やっぱり受け入れられないし

書いていて、怒りすら感じるのです。

自我の抵抗の激しさを感じます。

ただ救いは、今はこのように激しく抵抗しているけれど、

P23

ここから始まる旅は、「自我バージョンの与え方」から「聖霊バージョンの与え方」との間を行ったり来たりしながら、少しずつ「聖霊バージョンの与え方」を受け入れる度合いが増していく旅となります。

とあるように、赦しを重ねていくことにより、度合いが変わっていく、ということに安心感がある、と感じました。

そしてその度合いがもっともっと変わったら、いつか私は

P29

(A.1:5)

私達が同じ心を共有しているのであれば、私が死を克服したのだからあなたも死を克服できる。

この言葉を素直に受け入れられるようになるのだろうし、

肉体の死への恐れもなくなるのだろうな、と思いました。