〈要チャレ №6〉の要約発表&感想
〈要チャレ№6〉【質問31】 「起こっていないことを赦す」とは?
たくさんのご参加、ありがとうございました(^O^)/
形態において起こったことは、実際に起こったことですか、それは、平安を奪い去ることは起こさなかった。それは、分離の夢の中で、自我の解釈を受け入れ教師とした結果である。一方、奇跡は、外的なものは、私たちの平安に影響を与えないという認識であり、コースの重要の目標の一つは、原因と結果の基盤をなす、選択する力を備えた心がある、と教えることである。原因は、自我と一体感を持つことを選択した心であり、それは、自己認識に対する攻撃と、自己認識が失われる方法である。自分が傷ついた原因は心にあり、兄弟ではなかったと理解しようとする意欲から赦しが始まる。これが、自分と友人に差し出されている、赦しの優しさである。
リリー
形態においては、それが何であれ起こったことです。起きてない!と、経験を否認してはいません。
「平安を選ばない」という心の中の選択をするならば、心の外側の人々や環境の被害者になり、外側の何かによって傷つくことも当然ありえます。自分の心の中の選択だった!という認識とプロセスを通して、兄弟には自分が傷ついたことの真の原因はなかった!と真に理解しようとする意欲から赦しが始まります。自分は決して傷つけられることはないということを受け入れることが、自分自身と対象の両方に差し出されている赦しの優しさです。
sin
「起こっていないことを赦す」というのは、形態のレベルで起こったことを否定するのではなく、「その出来事自体が自分の平安を奪ったのではない」ということを認識して、「自分が傷ついたことの真の原因は兄弟や世界にはなかった」と理解しようとすることを意味している。
何らかの出来事によりネガティブな感情を抱くとしたら、その原因は、それ以前に自らが自我を教師として選び、「平安を選ばない」という選択をしていたから。
自我と一体感を持つことは、神の子としての自らのアイデンティティーを攻撃することであるから罪悪感を伴う。その罪悪感が心の外(対人関係や外側の世界)に投影され、それらが不愉快なものとして体験されるのである。
モリヤマ
「ワークブック」は、夢の中における私たちの経験を否認するよう提唱してはいない。起こったこととは、友人との外的な出来事より以前に、心の中で自我と一体感をもつことを選択したことである。重要なのは、私たちには選択する力を備えた心があるので、外的なものは一切、私たちの平安にまったく影響を与えないと認識することである。心の中の選択が、私たちが感じることの原因であるのなら、心の外側の人々や環境によって傷つくこともあり得ない。「誰にも神の子を傷つけることはできない」と認識して、「自分が傷ついたことの真の原因は心にあったのであり、あなたの兄弟にはなかった」と理解しようとする意欲から、〈赦し〉は始まる。
Sakurah
不愉快なことを経験したことは、実際には起こらなかったことではなく、夢の中では現実のことである。
この経験の真の原因は平安を選ばなかったという選択の
結果である。私たちには決断の主
体としての心があり、この出来事以前に心の中で自我と一体になり、創造されたままの無垢なる神の子としての自己を攻撃して、
肉体の中にいる分離した個人を信じることを選んだ結果である。この選択にまつわる罪悪感が外側に投影されてあらゆる不愉快な状況を経験するのである。従って真の原因は決断の心にあったのであり、兄弟にはなかったと理解することが許しの第一歩である。真の自己は決して傷つき得ないものであることを受け入れることが双方に差し出されている。
ブナ丿木
※ ブナ丿木さん、今回も参加ありがとうございます☆彡
今回は304文字でした。300字まであと少し、ファイトです(^O^)/
自我を選ぶと、兄弟が自分を傷つけたことが動揺の原因だと考えます。
一方奇跡とは、外的なものは一切私たちの平安にまったく影響を与えないと認識することです。『奇跡講座』は、私たちには選択する力を備えた心があると教えています。
兄弟があなたを傷つけたことが動揺の原因という外的な出来事より以前に、心の中で自我を選んだという事が、起こったことです。
自分は神に創造されたままの神の子ではなく傷つく存在だと信じたことによる罪悪感が、不愉快な反応として投影されます。
傷ついた原因は兄弟ではなく心にあったと理解しようとする意欲から赦しが始まり、自分は決して傷つくことはないと受け入れることで、両方に赦しが差し出されます。
JO1
「兄弟から自分にされたと思ったことは、起こっていなかった」とは、夢の中での経験を否認するという意味ではなく、自分以外の何も、自分の平安を奪ったり自分の感情を引き起こしたりしない、という意味である。外的環境を内的葛藤の原因とする自我の信念か、「外的なものは一切、私たちの平安に影響を与えない」と認識する奇跡か、どちらかを選ぶ力を私たちは備えている。不愉快な状況への反応は「平安を選ばない」という心の中の選択の結果である。真の自己は決して傷つけられることはない、ということを受け入れ、「自分が傷ついたことの真の原因は心にあったのであり、兄弟にはなかった」と理解しようとする意欲から〈赦し〉が始まる。
ナイト
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**次回の〈要チャレ№7〉は、4月10日に開始します。**

ディスカッション
コメント一覧
私は、心の中の選択に焦点を当てはじめると、この世界は幻想だと処理してしまい、形態の中では、実際に起こっているということを否定していた。ここが、あやふやで、あいまいにしか理解できていなかったから、赦しが、裁き(攻撃)になっていたのかもしれない。今回の要約も深く学ばせていただきました。
今回の教材では、「友人との外的な出来事より以前に、あなた自身が、心の中で自我と一体感をもつことを選択した」というところがとても印象に残り、日々の生活の中で事あるごとに思い出しています。
「確かにそうだ」と思う時もあれば、「そんなはずはない」と認めたくない時もあります。
でも、私がどんなに否認し抵抗しても、真実は先に選択したんだろうなと思っています。