からっぽの運転席

GWの後半、
家族でドライブに出かけたのだが、
行き先のことで私は妻にキレてしまった。

怒りがとめどなく溢れてくる、
その怒りとともに私の運転は荒れたものになった。

私の苦しみを理解して欲しい。
私が苦しんでいるのはお前のせいだ。
お前も私と同じように苦しめばいい。

妻への思いが溢れてくる。
私は妻を神の代替にしていて、
真の神に与えられなかった特別性を要求した。

楽しいはずのおでかけを、
私は攻撃の想念で破壊した。

次の日の朝目覚めると、
怒りや苦しみが消えていることに気づいた。

そしてコースの一節が浮かんだ。

レッスン24
私は自分の最善の利益を知覚していない。[W–pⅠ.24]

そうだ私は何が最善なのかわからないのに、
わかったふりをして、自我という車を運転して、
最善の目的地に向かっていると勘違いしていた。

私は同じようにこの肉体を運転して、
自我の必要を最善の利益と勘違いして、
今日も私が正しいと神と対決している。

ふともうこの自我という車から降りて、
聖霊に運転を任せてもいいのではないかと思った。

ぎゅっと握ったハンドルを手放して、
心の運転席から降りてみる。

からっぽの運転席はなんだか恐ろしい、
だけど運転席から降りてみると、
何だか自由で広い世界が広がっているように感じられた。

教義
実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
ここにの平安がある。
[T‐In.2:2-4]

( 2024年5月 by ようすけ)