「特別な愛」への執着

今、読書会〈奇跡講座入門D「特別な関係」〉に参加しています。
その中で「特別な愛」について学んでいるところですが、この世界で「愛」と言われているものは、【「真の愛」が甚だしく歪曲されたもの】【対人関係において、最も破壊的に行っている】と書かれていて、特に【破壊的】という言葉を受け入れられない自分がいます。(重要だと思うことに入れませんでした)

『そんなことないだろ!』
『ほら、長年愛し合って幸せなカップルいるじゃない!』
『どこが破壊的なんだよ!』
『依存だと〜。依存して何が悪いんだよ!』
『たとえ、別れたって美しい思い出じゃないか!』

などなど、自我の声が叫んでいます。
それほど「特別な愛」に執着しているのです。

この自我の叫びの中に「美しい思い出」というのが、なんとも偽善的で否認の臭いがプンプンしてきました。
そう、私は〈否認上手〉なのです。そして〈一人上手〉です。(by 中島みゆき)

「特別な愛」は「特別な憎悪」と同じく他人を憎むことだと知りました。それは自分自身に対する憎悪を見ないで済むということです。

憎悪と罪悪感は同じ源にあるので、絶対に心に戻りたくない、見たくないものです。だから「美しい思い出」という宝石で飾った醜い絵なのです。

そこに否認された憎悪を見なければならないのです。

何故、今回「特別な関係」について学んでいるのかというと、やっと【「美しい思い出」という宝石】を手放す時が来たからなのだと思います。

自分の憎しみも、誰かに対する憎しみも、全部否認してきたからです。

今、仲間たちと共に学んでいることに、とても感謝しています。

「誰のことも憎みたくない」という強い思いで、否認したのなら、その否認したものを聖霊と共に見ることで、その先にあるものに少しずつ近づきたいと思います。

( 2023年10月 by ゆうかーさん)