ホッとする決断
ときどき、夫から、「おまえは平和やなあ」とか「おまえは幸せそうでええなあ」とか言われる。
言われると、複雑な気持ちになる。
(そっかー、うれしいなあ)
(いやいや、馬鹿にしてる?)
(わたしだって、いろいろあるし!)
(おかげさまやで。感謝やで。)
などなど。
だから、曖昧に笑ってだんまりを決め込んだり「うーーん」とか「うん・・・そうね」とか返している。
夫は、ときどき、「生きていくのがしんどいー」と言う。お酒を飲んでるときに、よく言うようになった。
深夜に泥酔状態で帰宅したあと、ふとんの上で私に「死んでもいい?」と聞いてきたこともある。「いいよ」と返事したら「よかった。ほっとした。」と笑って、寝入った。翌朝、覚えてる?と聞いたら、覚えていなかった。
「そんなにしんどいのだったら、今の会社やめようよ。収入が減っても、家族3人、食べていけるんだし。」
「いやー、仕事はやめたくない。家族のために無理しているとかはない。そうじゃなくて生きるのは基本、しんどいことなんや。」
「・・・うん。まあ、そうか。そうだね。」
こんなやり取りが繰り返される。
ところが、先日、そんなやりとりのあと「わたしはいま、今までで一番幸せ」と言ってしまった。ぽろりと。
常々、「おかげさまで幸せだなあ」と思っていたし夫にもとても感謝している。でも、この場面で言うつもりがなかった。発言したあとに、(やばい!!!!)と思った。
幸せ??俺はしんどいのにええ気なもんやな!!
それやったら、もっと家事ちゃんとしたら?
それに、もっと、働いてお金家に入れろよ!
そんな風に返されるんじゃないかと身構えた。
夫は、天を仰いで、笑いながら言った。「おまえにそんな風に言ってもらえて嬉しいっっ!ほんまに嬉しいわ!!」
(ええええええ )
予想外の反応に固まってしまった。酔っぱらってるから、いつもより声も大きいし、リアクションが大きい。
すごく、照れくさい。
でも、うれしい。
あんたは聖霊か。
聖霊やったんか。
幸せだと知られたら、どんな『対価』を要求されるんだろうと私が身構えたのは、思いっきり、自我の思考体系を選んでいるから。
でも、夫は、私の幸せを願って、そして、ただ、喜んでくれているんだな。幸せでいて、いいんだなあ。
そう思うと、内側のコリが少しほぐれたような気分がして、この小さな「ホッ」という気分の方を大事にしていきたいと思った。
それから1週間、ときどき、「ホッ」を思い出しながら過ごしていると、自分がわざわざ、苦痛を選んでいることがわかる時がある。
やろうとしていることを先延ばしにして、そのやりかけのタスクを目の端に入れては、(あーー、まだやってない!)と自分を責める。砂がじゃりじゃり口の中にあるような、微妙な不快感を繰り返し味わっている。
ずぼらだから、だらしないから。やりたくないから、やらない(やれない)んだ。
まあ、そういう面はある。あるけれど、自分を責めて嫌な気持ちになるのは幸せにならないと決断した、その決断による目的が忠実にあらわれているだけなんだなということがちょっとずつ、腑に落ちてきた気がする。
腑に落ちてきて、なーーんだ、と今まで保留していたのが嘘みたいにスルスルっと、片づけてしまったものもあればそれでも、やらないものもある。
今までだったら、やり残しのタスクを一部、すんなり消化できたことにだけ喜んでいた。でも、そこにとどまらないでいたい。
どうあれ、自分が決断して目的を選んでいる。
ただ、その目的に役立つ証拠を目撃している。
というところに気付いていけるように、できる限りJACIMの学習資料やテキストを読み込んでいきたいと思った。
( 2019年10月 by 匿名 )

