天国への地図

『原因についてのコース』の概念図を見た子どもが
「これなあに?」と聞いてきた。
特に何も考えてなかったのだけど
「天国への地図だよ」という言葉が出てきた。
言った後に、本当にこれは天国への地図だなぁと思った。

正直に言うとこの概念図を初めて見た時には、自分にとってはあまり重要なものではなかった。
〈決断の主体〉を意識するようになって、俄然この図が意味をなすようになってきた。特に赦そうとする時には、「今自分は分離を選んだけど、聖霊を頼りにして選び直す事が出来る」と思い出す手がかりになる。自分がいる本当の場所を思い出せる。

このところ、何故か登山関係の本を読むのがマイブームで「神々の山嶺」「孤高の人」(マンガですけど(^^;)など次々借りて読んでいた。
読んでいて、何となく赦しが登山に似ているなあと思う。雪や風という「抵抗」に阻まれながらも少しずつ上に登って行く。登るのはとても難しいけど、地形図(概念図)で目指す場所を確認しながらルートを確保し、正しい方を選び直して登って行く。ただ、もっと高くと願いながら…。

とか言いながらも、自我と同一化してしまった時の自分へ(笑)

質問110: 浮上してくる怒りや攻撃の想念についてより

私たちの一人一人が、100パーセント憎しみに満ちた自我の声を聞くことにするか、100パーセント愛に満ちた聖霊の声を聞くことにするかを選ぶことができます。私たちの一人一人が、この人生において発揮している性格的特徴とは関わりなく、「ヒトラー」でもあり「イエス」でもあるのです。私たちの想念や行動が「ヒトラー的」になっているときには、私たちは単に、怖くなって、聖霊の手を離し、再び間違った声を聞くという誤りを犯しただけなのです。これは、懲罰ではなく訂正を必要としている「間違い」なのです。そして幸いなことに、私たちの自我の残酷で狂った喚き声は、実相にはなんの影響も与えません。

( 2018年12月 by ふうせん )