自分のための読書と学び
※本記事の引用は、『聖霊のレッスン』によるもので、ページ数のみを付記します。また、[ ] 内の記号は『奇跡講座』テキストの参照番号です。
読書会(※JACIMフォーラムで開催されている)の指針について、そのアドバイスを守って教材を読むと、自分のための読書と学びという利点が大きいなと感じています。
「せっかく読書会に参加させてもらっているのだから他の人にも役に立つ投稿をしなくては」などという、身の丈に合わない願望をもっていたので、余計に読めなかったんだなと、いまさら気づいた次第です。
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自分の学びの基礎として、覚えておきたい部分を書き留めます。
「葛藤」というのは、「神から分離したと思ったことにより、神との間に生じたと信じられている葛藤」のことです。(そしてそれが、世界のレベルに現れている無数の葛藤の源です。)その「葛藤」を解決するには、そうした葛藤があると信じている「自我の思考体系」自体を手放すという決断をすることが必要であるのに、その決断をせずに、そのかわりに、神から離れたままで、神の怒りから逃れようと試みているのが、自我です。そうした試みが、ここで「死」と呼ばれています。(p.30)
すべての葛藤は、神との間の葛藤からきている。
その葛藤を信じているのが「自我の思考体系」で、私が自我の思考体系を信じていれば必ず葛藤だらけになる。
だから葛藤を少なくするためには、自我の思考体系を手放し聖霊を選び続けることが必要。
これを基にして以下の部分を読むと、わかりやすくなりました。
ですから、「一貫して警戒」すべき対象としての葛藤[T-6.Ⅴ.C.4:1]というのは、自我の思考体系全体(それ自体が「葛藤」そのものでもある)と考えることもできますし、「自我の思考体系 対 聖霊の思考体系」という、心の中にある二つの思考体系の間での選択という意味での「葛藤」と考えることもできます。どちらの場合でも、常に自我を退けて聖霊を選ぶ選択をするための警戒ということになります。(p.143-p.144)
自我は常に、「世界の中の人々との間や状況の中に、葛藤がある」と、私たちに信じさせようとしますが、聖霊のレッスンが私たちに注意を向けるように促しているのは、心の中の葛藤です。(p.145)
世界の中で感じている葛藤を、自我は「神との間の葛藤」だと思い出させたくない。
自我が、私が心に戻って選びなおさないように警戒しているのだと理解できました。
聖霊を通して選択することが、神の国へとあなたを導く [T-6.Ⅴ-C.5:1]
この、「聖霊を通して」という部分が自分ひとりで読んだときはわからなかったのですが、
このように聖霊のレッスンが導いている通りに選択していくことによって(p.148)
と、わかりやすく表現されているのを読み、
テキストの前の部分を読んで言葉を足して理解をしていくことを、ひとりで読むときには心がけようと思いました。
(普通に読むと、聖霊を通しての部分を「聖霊が私に憑依してくれるの?一体化?」と読んでしまって、意味不明になっていました。)
神があなたの心に置いたものだけを、あなたが自分の心に抱かせるなら、あなたは自分の心を、神に創造されたままのものとして是認している。したがって、あなたは心をありのままに受け入れていることになる。その心は全一であるから、あなたは平安を信じるがゆえに平安を教えているのである。[T-6.Ⅴ-C.5:4-6]
ここでは、完全に自我を退けて「神があなたの心に置いたもの」(=聖霊)だけが心に残っている状態について語っていて、これが実相世界です。(p.150)
ここでも、テキストの読み方について、なるほどと思いました。
聖霊だけが心に残っている状態とは、きっと、聖霊の思考体系を選び続けて自我を手放し、心がすっかり聖霊と一体化した状態。
そしてそれが「実相世界」。
なるほど〜
実相世界が天国の一歩手前だということまではわかるけど、それ以上全然理解できなかったのですが、すでに私たちが学んでいる「聖霊を選ぶ」ことを続けていった先に、実相世界があるのだと思えました。
私が日々続けている地味な赦しの一歩一歩、その先に地続きで実相世界があるんだと嬉しく感じました。
この、地続きというところが自分にとって大きく感じます。
今までは、実相世界にたどり着くには学んでいる赦しだけでは足りなくて、未知の飛び道具が要るに違いないと思っていたのかもしれません。
学べば学ぶほど、それまでに学んだことが意味を持ってつながってきて、ドラマの伏線回収で登場人物やセリフがつながっている感じに似ています。学んできたことがちゃんとつながってうれしく思います。
( 2022年10月 by peko )

