赦しの不思議

最近、ワークブックの主題概念の練習をしっかりと行っていた。・・・・とはいっても、朝、自分としてはしっかりと心で感じることがあったということで、日中はその概念が浮かんでくることはあっても、どれほどその意欲を持ち続けていたかと問われれば、一日中自我の想念ではあったのだけれど。

けれど、そんな風に一日の中で何度か主題概念が心に浮かび、朝、しっかりと心で感じ入った日が数日続くと、ある瞬間、自分が宙ぶらりんで、どう考えていいか分からない、とても所在ない感じで、闇に放り出されたみたいな独りぼっちのような孤独感を感じた。

今までのそれは、自我から離れたときに、訪れる空白になった感覚で「何をどう考えていいか分からない。」感じだったけれど、今回は「自我を選んでいる自分が、自我としてどう考えていいか分からない。聖霊の思考体系を選べば、その思考体系のままに自然にここで言われるままに行動として流れ出るのに、自我を選んだら自分ですべてを決めなければならない。どこから着手すればいいのか。まったく、闇の中に一人で放り出されたみたい。」みたいな、とてつもない不安、孤独がこみあげてくる瞬間があった。

それで、驚いた。こんなことは今まで経験したことがなかったから。

なのに、その後からまたしっかりと自我の思考体系にピッタリと同一化する力動が強まっていることを自覚している。

すると、またいつものように自我の私がすべてを解決する!

この出来事にどう対処すればいいだろうか。ああだろうか、こうだろうか。何と言って説得するべきだろうか。あの人はそれに、どういう反応を示すだろうか。上司に報告するべきだろうか。と、どんどん自我の私がこの世界を仕切り、世界を私が采配する思考体系に迷いがなくなり、その自分の在りように孤独や不安など感じない。

あるのは、怒り、焦燥感、ドキドキして心拍が早まる感じ。緊張して交感神経が優位になって、呼吸が早まる感じ。そんなものだ。

赦しって不思議だな、と思う。

それを真摯に行えば、次第にそれを深く理解できるし、赦しから遠ざかればまた元通り。それを繰り返し繰り返しして、やっぱり赦すほうが気持ちいいのだから私は赦すことを選ぼう!という決意が強まっていくのかな。

赦すことが、赦しを選ぶことの意欲と決意を強めていくことに自然となっていくのかな。

赦しを学び始めたら、赦さないこともそのカリキュラムに含まれているのかな。

赦しを学び始めたからにはもう、この道を進んでいくことは決まったのかな。

( 2025年5月 by maru )