共に学んでいる途中

(フォーラムの)皆さんの投稿を読ませていただき、「決断の主体」「心としての自分」ということについての自覚の高まりというか、それは私も同じで、そのことを日々、学んでいます。

皆さんの投稿を読んですぐに思い出したのは、ワークブックの解説の講義で

レッスン20 「私はぜひとも真に見たい」の、私とは誰なのでしょうか?

という質問をしたときのことです。

一緒に受講中だった仲間と、加藤先生にコメントを頂き、そのことを参考にしつつ現在も「決断の主体としての私」について、日々勉強しています。

「決断の主体としての私」についての自覚、その自分がやっていることに気が付いていくということが『奇跡講座』を学んでいる、ということだと思うようになってきました。

『奇跡講座』を学ぼうとすればするほど、「決断の主体としての私」という理解が深まっていくように思います。それは、「決断の主体としての自分の決断」に気付く回数が少しづつ増えていくことでもあると思います。

皆さんがおっしゃっているように、「心を見る」ということが「決断の主体」に少しづつ近づいている、ということだと思います。少しづつ少しづつ、私も含めて、一歩一歩、決断の主体としての私に近づいていると思います。

心を見る、しっかりと感じる、蓋をしないで見る、感情と一体化してしまっているときにはその自分を見る視点はないと思うので、感情に一体化してしまっていることに気が付く瞬間がどこかの時点で訪れたなら、そこから、自分がしていることを見る視点(決断の主体としての私)で見るチャンスになると思います。

また、今、皆さんがなさっているように心を見る、しっかりと感じる、あせらないでゆっくりと見る、ということは「決断の主体としての私」に近づいていく上で、大切なことだと感じました。

また、繰り返し、「思考の逆転」「原因についてのコース」などをじっくりと読んだり、別館のビデオをじっくりと見たりしつつ、心を観察する、フォーラムに正直に自分の心を隠さずに蓋をしないで見つめて書き出す、感じる、ということを続けることで十分だと思いました。

ある時点からテキストが、今よりも読みやすくなってくると思います。
私もそのようにして学んでいる途中です。

皆さんと一緒に、前進していると思います。

学習できる場と仲間に本当に感謝したいです。

( 2022年7月 by maru)