本当に?

うーん、、、、、、。

どうやら、やっぱり、私は間違っているらしい。と思う。

今日、こう思った。

一日中、『奇跡講座』の学びと共に過ごすことを心掛けているのであれば、もちろん必然的に、毎時間ごとの練習も習慣になっているはずではないか?と。

でも私は、一日中、すっかり忘れている。

そういうことだ。

以前私は以下のように書いた。

「毎時間ごとに主題概念を述べて、短い練習をする」ということは、一日中『奇跡講座』の学びと共に過ごすことを心掛ける、ということをさしているのではないか。

毎時間の最初にきっちりと練習ができない、ということにとらわれ過ぎるということは、形にこだわっているのかもしれない。

一日中、『奇跡講座』の中で、イエス先生が教えている何らかの側面を胸に抱いて過ごす、ということを身に着けるためのワークブックではないのか?

何だか、イエス先生が励ましてくれているように感じられた。

きっと、これまでもうまくやってきたのではないか?

こんな風に書いたけれど、そして、その時には本当にそのように感じたのだけれど、時間の経過とともに、それは勝手な自分の言い訳だと思うようになった。

時間の経過とともに、やっぱり、一日中、自我の心のままでいることを認識し、つまり、全然選び直していないことを自覚した

ということは、やっぱり、私は、

一日中『奇跡講座』と共に、なんて居ないし、毎時間ごとに練習に捧げるつもりもない、ということを認めざるを得ない状態だ。

全然、イエス先生の言う通りにしていない。

今日はこれまでよりも少し、そのことをしっかりと自覚できた一日だったような気がする。

意欲は?

どうしてだろう。少し増しているようだ。謙虚さも。少し、増しているようだ。

どこまで謙虚になれるだろうか。

イエス先生の言うとおりに、従ってみたい。イエス先生の言われるように、忠実にそれに習ってみようではないか。少なくとも、そうすることに対しての、意欲はもち続けていたい。言い訳せずに、イエス先生の言われる通りにすべてを当てはめて練習の機会としたい。テキストに書いてある通りに、ワークブックの指示通りに、イエス先生の言われる通りに過ごしていきたい。途中、そのことが停滞しても、言い訳をせずに、それを赦しの機会として、またイエス先生の言われる通りに赦して、真摯に、真剣に向き合って、一日一日を積み重ねていきたい。

本当に?

今は、確かに朝よりもずっと強く、そのように感じられる。

一日中できていない、毎時間ごとなんて全然できていない。つまりは、私の意欲の問題だ。

このことを見つめてから、意欲が静かに高まっているように感じられる。

イエス先生の言われるように過ごしてみたい。忠実にイエス先生の言うとおりにそれに沿って、進んで行きたい。

そのためには?

自分なりのやり方を手放す。

自分なりの解釈をすべて手放す。

まっさらな、受け入れ状態を作る。

そんな風に一日を過ごしたい。

( 2022年5月 by maru)