掃除機に吸い込まれるように
私は今日、小さなお寺に仏像を見に行ってきました。そのお寺のご本尊は薬師如来で、その他不動明王や毘沙門天、弥勒菩薩などがあり、煌びやかな仏教装飾に囲まれて、それはそれは素晴らしかったです。拝観者もほとんどいなくて、ひとり像の手前に座り、深呼吸?瞑想もどきみたいなことをして、かなり癒されました。
ビデオV#18からの引用です。
換言すれば、もし私が美しい芸術作品を見たり、素晴らしい音楽作品を聞いたり、大自然の美しさに触れたりして、感動するとき・・・
それが反映しているのは、私が「正しい心」の観点から美しさを選択しているということだと、認識するということです。
私の「正しい心」の観点からの選択により、私の中で、「神の愛を引き出して表層に浮上させる何か」を選択している、ということです。
それは、イエスを私の教師として選択したことの美しさであり、彼の愛を経験することの美しさです。
それこそが、まさに美しいのです。
V#18: 象徴としての美
今日の経験が、こうであったなら良いなあ!と思いました。
この出来事に関連して、「反映」という言葉が出てくる、「聖霊のレッスン / 「奇跡講座」テキスト第6章Vの解説」を読んでみました。
厳密には「真の愛」は実相のレベルにしか存在しませんが、幻想の中で、「愛を反映するもの」は「赦し」です。
聖霊のレッスン / 「奇跡講座」テキスト第6章Vの解説 P50
この太字のわずか数語の中に、個人的にはとても深い深いものが詰まっていると思いました。
私たちが「真の愛」だと思っているものの多くが「特別な愛」であり、すなわち「憎悪」と同じであるなら
私は、『奇跡講座』受講生として、真の「赦し」を身につけ
実相掃除機?に吸い込まれるように、神の懐に消えていきたいな、と思いました。

