判断
「判断」について、(間違っているかもしれないけれど)次のような考えが浮かんできました。
「判断」をするとは、自我の思考体系を選んでいる私(決断の主体)が、自我の思考体系に沿って、自分自身で、自力で「判断」をする、ということ。
聖霊の思考体系を選んでいる(「自我の思考体系を選ばない」を選んでいる)時には、私が「判断」することはしないはずなんだなあ・・・と思ったのです。
聖霊の思考体系を選ぶと決めたなら、そして、その選択を維持しようと決意している間は、自分自身の考えによる「判断」が浮かんできても、その都度、それを選ばない、その「判断」をその都度手放して、聖霊の思考を求める、つながろうとする、つながっていたいと懇願する、一緒に居てほしい、離れないでほしい、離れないようにしよう、と願うはず。
「判断」を自分自身でする、ということができないはずの状態が、〈正しい心〉を選ぶ、ということなのか!と、思いました。
聖霊の思考体系を選ぶことを選ぶとき、聖霊の思考体系につながって、それを見せてもらうのですから、何一つ、決断の主体である私が自力で、「判断」を下せることはないのだなあ・・・と思いました。
自分自身、自力で、「判断」をしている時、すでに間違った心を選んでいるのですね、
このことが、ようやく分かってきたような気がします。

