〈特別な関係〉
最近父親に対する怒り等、〈特別な関係〉というテーマが浮上しているような気がするので、
【質問】No.112<特別な関係>の本質が「憎悪」だというのなら、それらを愛することなどできるのでしょうか?
を読み返してみました。
〈特別な関係〉という概念は何とも漠然としていて、理解が曖昧です。しかし、曖昧なのにそれを具体的な出来事(家族・友達等)に当てはまることに、恐ろしさを感じている自分がいます。これを整理する目的で質問を読んでみます。
『奇跡講座』においては、「特別な」という言葉は「分離している」という言葉と同義です。
「特別な」=「分離している」、
分離しているという言葉で思い浮かぶのは「肉体」
肉体としての自分と世界との関わりが〈特別な関係〉
どの〈特別な関係〉も、分離の信念を中核としているからです。このことを心に留めておけば助けになります。というのも、〈特別性〉が愛あるものに見えているときでさえも「憎悪に満ちている」のはなぜなのか、その理由をこのことが説明しているからです。
分離の信念を原因として知覚される「世界」
この世界の全てが〈特別な関係〉
そして、〈特別性〉が愛あるものに見えているときでさえも「憎悪に満ちている」のは、「どの〈特別な関係〉も、分離の信念を中核としている」からである。
分離というのは、殺意の想念です。その想念により、神の子は、自分が神の力を横領することができ、神から生命{いのち}を盗み取ってきて、神の愛から独立した一個の肉体の中で生きることができると信じています。これが、あらゆる〈特別な関係〉の内容です。
分離の想念により、神の力を横領し、一個の肉体として生きることができると信じている、その肉体を前提として成立する〈特別な関係〉、いかに愛に満ちたものに見えようとも、それが本質である。それを認識することに強い抵抗を感じます。
自我は形態に焦点を合わせ、自分の不快感を外界の何かのせいにしますが、聖霊は、すべてのものごとを心による選択を反映するものと見なすようにと、私たちに求めます。他者との関わりの中でどのような裁きや憎悪の感情などが浮上してこようとも、それに関わりなく、あなた自身が自分の投影に注意を向ける姿勢が徐々に身についてきたと気づくようになったら、そのとき、あなたは聖霊を選んでいると思って大丈夫です。
〈特別な関係〉の本質は憎悪であるが、それを咎めず聖霊とともにみることが大切だと、いつものようにワプニックさんが励ましてくれているような感じがします。
常にやることは同じ、その習慣を身につけていくことが大切だと感じました。
前半部分で、〈特別な関係〉の本質がシンプルに語られていますが、それを認識することには強い抵抗を感じます。しかし、〈特別な関係〉という切り口からもこの世界を見ていきたいという意欲があるので、今後も読み返しながら、実践を続けていきたいと思います。
(2022年4月 by ようすけ)

