今朝の気づき

今日は、用語解説 か行、機能[function]を読んでみた。

機能[function]

智識のレベルにおける意味: 創造すること、すなわち神の愛または霊を延長させること。神は子であるキリストを創造し、今度はキリストが父と同じように創造する。私たちは、永遠を貫いて今も進行している私たちの創造するという機能について、贖罪が完了した時に自覚できるようになる。

知覚のレベルにおける意味: 赦し、癒し、贖罪を自分に受け入れること。私たちの特別な機能は、自分の<特別な関係>を赦すこと。聖霊の特別な機能は、それぞれの神の子に自分の特別な機能を思い出させ、贖罪の計画を実行に移すこと。

用語解説 か行

あなたの内なるキリストは肉体の中に宿っているのではない。それでも、彼はあなたの中に居る。ということは、あなたは肉体の中には居ないということである。あなたの内側にあるものは、外側には存在できない。あなたが自分の生命の真の中心にあるものから離れていられないことは確かである。あなたに生命を与えるものを死の中に住まわせることは不可能である。あなたについても同じことが言える。キリストは聖性という額縁の中に居る。この額縁の唯一の目的は、キリストを知らない者たちの前にキリストを顕現させることであり、それにより、キリストが彼らに呼びかけ、彼らを自らのもとに招くことができ、彼らは自分たちの肉体があった場所にキリストを見ることができるようになる。そうすれば、彼らの肉体は溶け去り、彼ら自身が内なるキリストの聖性を縁取る額縁となるだろう。

(T-25.in.1)

相手の中のキリストを見るとか、全てのものに罪悪感を見ないとか、これまでは智識のレベルにおける意味のようなことを、自分でやろうとしていたように思う。

でも、この解説とテキストを読んで、それが機能なら、しかも、そもそも備わっている機能なら、停止させている力を取り除き、発動させるだけなのでは?と思った。

例えば、エンジンにツタがぐるぐると絡みつき、動けなくなっているのを、一つずつ丁寧にツタを外していき、全て取り除いたらエンジンが「ブルン!ブルン!」と回り出す、みたいなことをイメージした。

また、そこにエンジンがあることを必死で隠しているような気もしてきた。

そう考えると、私がすることは、肉体の私が聖霊の機能を果たすことではなく、自分で必死に隠している、自分の中にある機能に気づく(認識する)ことかなと思った。

あなたの聖性が世界の救済である。あなたは自らの聖性によって、世界があなたとひとつであることを世界に教えることになる。そして、それは、世界に向かって説教をしたり、何かを告げたりすることによってではなく、自らの聖性の中ではすべてが自分とともに祝福されているという、あなたの静かな認識を通してなされる。

(W-pI.37.3)