自己概念A,B,C
(Mさんの、自己概念A,B,Cについての記事に対するpallakschさんのコメント
※自己概念A,B,Cとは、「思考の逆転」P41に出てくる、三つの自己概念のこと)
自己概念A,B,Cというのも、自分を人間(肉体によって象徴される個別の存在)だと思っている私が、心を思い出していくのに、非常に役立つ理論図式なのであって、その理論図式自体によって、直接自分は何者であるかを認識できるようになるものではないということです。
その理論図式から直接、自分は何者であるかを見ようとするなら、肉体によって象徴される「個別の自分」を無意識にイメージしながら、それを理解することになります。これは、誰であっても避けられないことです。
我々の出発点は、自分は人間であるという地点です。
なぜ、自分を人間(肉体をもった個別の存在)だと思っているのか?
〈決断の主体〉が自己概念Aを選択したがゆえに、投影がおこり、自己概念Bを自分、罪の投影先である自己概念Cを他者であると見ているから。
このように、この理論図式は自己認識の理由を明確にしてくれます。
そして、それに基づいて、心としての自己認識を取り戻す実践を明確にしてくれます。
今は私は、自分の不幸や幸せに関して、他者(世界)に原因を見てしまっているが、それは自己概念Aを選択し、その自己概念Aを見たくないので、投影により、他者(世界)に原因を見ているからである。だから、真に解決を望むなら、自己概念Aにアクセスして、罪悪感を感じているのは自分の選択だったことを実際に見る必要がある。
そして、その実践のプロセスを通じて、自己認識も変化せざるを得なくなります。
自己概念A,B,Cというのは、自己認識の問題を明確にするための理論図式だと思うのです。
たとえば、自己概念Cを自分であると認識できるならば、自他の一体性(自我の一体性)が認識できているわけで、一つの〈決断の主体〉としての自覚が戻っている状態です。それは世界の幻想性が完全に認識できている状態でもあると思います。
それゆえ、反対に、特に葛藤を感じていないように思っていても、他者がいる、世界がある、という前提でものごとを見ているなら、一つの〈決断の主体〉としての自覚が戻っていないというわけですし、癒されるべき心があるということになります。
自己概念Cが自分であるという認識・自他の一体性の認識というのは、自分を人間であると思っている我々には直接認識できるようなものではないのですが、『奇跡講座』では、それを「自分の利害と他人の利害が共有されている」という方向で認識していくように思います。以下の解説またはワークが参考になります。
レッスン18
私の見方がもたらす結果を体験するのは、私ひとりではない。
レッスン19
私の考えがもたらす結果を体験するのは、私ひとりではない。
( 2022年3月 by pallaksch )

