「水に潜る」ということ

ワプニック博士の『奇跡講座』解説 小品集(2)「水に潜る者」を読んでの感想です。

最初の節に書かれているように、この小論の主題は、

罪悪感と憎悪から成る自我の思考体系を直視することに対する恐れ

(冊子p.36、連載第1回)

です。

では、どのようにして、「罪悪感と憎悪から成る自我の思考体系を直視」していくかというと、最終節にあるように、

そうして、私たちはついに、自分の心の奥深くへと潜っていきます。導き手であり安全の拠り所でもあるイエスの愛を傍らにして、私たちが自分の関わる様々な関係についての知覚を逆転させて、心の奥へと潜る・・・・

(冊子p.55、連載第3回)

ことによってです。

知覚を逆転させる、つまり、投影を逆転させることで直視するわけですから、基本は間接的アプローチだということになると思います。

私が自分の中では直視することができない罪悪感をあなたの中に見ることが、私がその罪悪感を手放す機会となる、ということです。

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・・・・自分ひとりでは対処できず、自分の中で解き放つことができない私の罪悪感を、「あなた」というスクリーンに投影することによって、私はそれを見ることができるようになり、「今、私はそれを違った見方で見ることができる」と言える機会が得られる、ということです。私があなたの中で看過して赦す罪や罪悪感は、実際には、私が自分自身の罪や罪悪感と見なしているものと同じです。ところで、これは罪の内容が同じ、という意味で、形は全く異なることもあります。それをあなたの中で赦すことによって、私は、事実上、それを自分自身の中で赦していることになります。これが、『講座』全体の中で、鍵となる概念です。

『奇跡講座入門』pp.122-123

赦しの第一ステップというのは、

自分の苦しみの原因は他人にあると思っていたけれど、本当の原因は自分の中にあると認識する、ということです。

『思考の逆転』p.60

なのですが、「自分の中」というのを個人としての自分の中と受け止めてしまったり、個人としての内側という感覚、つまり、自分の肉体の向こう側ではなく、こちら側を内側だという感覚があるので、それを内側に向かうと誤解してしまうことは、多いと思います。そうなると、相手への感情を感じ切る前に、そう感じるのは自分の問題だというので、相手への感情を引っ込めてしまい、自己譴責の堂々巡りにおちいる可能性が高くなるように思います。

実は、これも防衛で、なぜなら、相手への感情をしっかり感じ切ることは、他者に投影した罪悪感を直視することにつながるからです。

内側が投影されたものが外側なので、その内容は同じであり、「罪悪感と憎悪から成る自我の思考体系を直視することに対する恐れ」というのは、「他者に投影した罪悪感をいかに憎悪しているかを見ることに対する恐れ」でもあり、他者に対する憎悪を直視することは内側の憎悪を直視することと同じことになるからだと思います。

相手への思いをしっかり感じ切っていくと、相手をどれほど深く激しく憎悪し、いかに相手を醜く思い、相手を嫌悪しているのかが見えてきます。そして、そうした激しく嫌悪している相手の姿は、自分が相手に被せた姿だというのが、見えてきます。取り除く必要があるのは、憎しみであって、憎む相手ではないというのが見えてきます。

心の奥へと潜ることは、外側へ暴発しないよう注意しながら、相手への思いをより深く強烈に感じることを自分に許可することで始まるように思います。

我々は、心の内側の罪悪感を直接見ては生きていられないと信じているので、それを直接見れば当然生きていられないと思います。しかし、そのように信じていない存在の手をとることも我々にはできるのです。聖霊の手をとり、知覚を逆転させて心の奥に潜ること。「水に潜る」と言っても、それは、聖霊に導かれ、「赦し」という間接的アプローチによって潜っていくのだと思います。

( 2022年7月 by pallaksch )