最初からすぐに実行できるはずがない?
冊子「聖霊のレッスン」57-62ページを読んでの感想です。
もともと最初からすぐに実行できるはずのないレッスンを与えられて、とにかく最終目的地はそういうところなのだと理解し、なんとか、それを実行し始めてみようとして、今までとは逆の方向を向く ― 最初はこれだけで充分です。
「聖霊のレッスン」59-60ページ
「最初からすぐに実行できるはずがない」というのは、どうしてなんだろうと考えました。
コースの実践の要は「赦し」というシンプルさがあります。
ですが、それを概念として学ぶ時も、日常の動揺に当てはめるときも「抵抗」があります。
自分はこの世界で生きる特別な自己をもった個人で、この世界で何とかうまくやっていき幸せを見つけたい、という私の根本的な自己認識を、「まるごと入れ替える」ことを目指すというのですから、やはりよく考えると、そんなことどうやったらできるの?と疑問を持ってしまいますし、私なんかにはできないという思いが出てきます。
この「私なんか」という考えが、ともすると謙虚に見えて、実は傲慢なのでしょう。
神が創造したままの自分自身を受け入れることが傲慢なはずがない。なぜなら、それは傲慢さの否定だからである。あなたの卑小さを受け入れることこそ傲慢である。なぜならそれは、自分自身についてのあなたの評価が神のそれよりも真実だと、あなたが信じていることを意味するからである。
(T-9.VIII.10:8-9)
実際、このレッスンを実行しようとしてみるなら、「難しい」というだけでなく、その達成には長い時間がかかりそうだということは、すぐにわかるはずです。この第六段落の中でも、「長い間」とか「非常に鋭い葛藤」といった言葉さえ使って、その難しさについて語っています。
「聖霊のレッスン」60ページ
これには「長い間」「非常に鋭い葛藤」を伴うという言葉が、確かに気持ち的に、できない自分に罪悪感を抱かないための助けになります。
逆を向く=今までとは違った見方を望む、そのことを自分が意志すれば、助けと導きが約束されていることを嬉しく思いました。
(2022年7月 by yukihide)

