今この瞬間も、してること

先日家の洗面台を交換しました。

その取付業者の作業が私からは丁寧さに欠けるように見えて、工事完了翌日から、給水管の繋ぎ目から少し水が漏れているようでした。電話したところ、シールテープがなじんだら止まるからという返答でした。今は様子を見ているところです。また工事日から2階の水の出が急に悪くなりました、このことも聞くと、うちには関係ないということでした。

この洗面台の交換に関しては、色々すったもんだがあって、品物を選ぶところ、取付を業者に何度か断られ、途中家族全員体調を崩し、ようやく決まった業者の費用が高かったり、どれもスムーズにはいきませんでした。

目下私は一連の出来事がまだ終わらないことに不安になり、腹を立てています。

家族はみな平然としています。明らかに私はこのことについて外の世界に加害者を見て、被害者となることを選んでいます…。

単に二つの選択肢の一つは幻想であって実在しないということだけでなく、すでに私たちのために聖霊によって為されていた撤回不可能決定(=分離の取り消し=贖罪)を、私たちが自分で取り消そうとしていることが問題だということです。ですから、「自我」という実体のある何物かを消し去るというようなことではなく、自分が聖霊に逆らおうとしていることに気づいて、それをやめようとすることが必要なのです。

『聖霊のレッスン』103-104ページ

この解説を読んで、私は既に撤回不可能な贖罪が完了しているのに、それを自分で取り消そうとしているのか…と。

今この瞬間も「神の愛などいらない、神から独立して好き勝手に生きる」と決断し続けているということ。

私の頭脳や世界の時空を超えた心のレベルでこの選択は為されていて、その選択が世界に反映されて肉体や無数の分離した形態が実在するように見えている。

でも聖霊の決断によって、分離の取り消しは既に終わっている…ということは、

私が今、世界の出来事によって苦しんだり悩んだり有頂天になったり、またそうした恐れが消えるようにやっきになって赦しのようなことをするとき、単に自我を力があり実在しているという考えを強化しているに過ぎないのかと思いました。

それが聖霊の決断を受け入れるのを邪魔し続けているのだな…と。

考えをちゃんと整理できていないのですが…

ともかく洗面台の取付業者について赦そうと思います。

(2022年9月 by yukihide)