孤立感の源

Yさんの投稿を読んで、昔のことを思い出しました。

私は職場で他の人たちと馴染むということが殆どなかったので、個人的に同僚から遊びに誘われることはありませんでしたが・・・職場全体の親睦会に参加するのは本当に憂鬱でした。出席しても大抵孤立して一人惨めな時間を過ごすというパターンが多かったからです。

かといって、断ることで更に職場での孤立感を増すのは避けたいという気持ちから、断る勇気すら持てず、更にそのような優柔不断な自分を自分で責めるという自虐行為を上乗せしていたために、当時はもう悩みを通り越して苦痛以外の何物でもありませんでした。

このことを今振り返ってみるに、私はこの自分の経験の中に「私は同僚とは分離した存在だ!」という私の強烈な主張があったことを痛感するのです。これこそが私は神とも神の子とも分離した存在だと強固に信じている私の信念の表れであると感じ、その信念を強く握りしめていた自分の姿がはっきりと見えてきます。

しかし、真理においては、神と神の子の間に分離はないのですから、この私の(自我の)信念が間違っているわけです。

ですから、当時私があの苦痛から抜け出すためにしなければならなかったことは、どうやって断るかを悩んだり、結局断れない自分を責めることなどではなく、このことを通して、私が間違った信念を抱いていることに気付き、それを正直に認め、そしてだからこそ、それを手放して正しい真理と交換して貰おうという意欲を聖霊に差し出すこと、ただそれだけで十分だったのだと思いました。

随分と時間はかかりましたが、学びや実践や沢山の失敗を通して、今はこのような気付きがあることに感謝しています。


(2022年6月 by クマ)