赦しは幻想を深刻に捉えない
今、私はある問題に心を悩ませている。
同僚の若い男性のO君と年配の女性のOさんとの間の関係が険悪なムードであり、一触即発、いつ戦争が始まるか秒読み段階であり、傍観者の立場の私ではあるが、気が気ではないのだ。
所詮他人事かも知れないが、攻撃の応酬の矢面に立たされるのはとてもじゃないが耐えられない。断固としてごめんだ!
「赦すけど忘れない」
第4部 まとめ
(DTAによるまとめ)
私たちが状況をどのように見るべきかについて、レッスン134が参考になる。それによると、「赦しは幻想を黙認せず、軽く笑いながらそれらを真理の足元に置く」つまり、 赦しは幻想を深刻に捉えない 。
何であれ起こっていることを、イエスと共に見るなら、それが交通事故であれ、癌や地震や戦争であれ、あなたはそれを真理のもとに運び、それにより、「軽く笑いながら」それを眺めることになるのです。
「赦すけど忘れない」99-100ページ
その結果、問題は無の中へ消えていく。
個人的な世界やこの世界の中でのどんな出来事に対しても、とにかく深刻に捉えないことだ。実際、『奇跡講座』の形而上学でも、私たちが問題と思っている出来事は幻想であり、真理ではない。だから、じっと静かに見つめることだ。
つまり、私たちは「台風の目」のような存在を目指すのだ。すなわち、周りは暴風で荒れ狂っていても、自分の心の中心には穏やかな平安がある状態だ。
要するに、私たちはこの世界の中の一切を、ただ、「軽く笑いながら」眺めるのです。私たちは、「幻想は幻想にすぎず、真理に対しては、何の力も持たない」と認識するのです。
「赦すけど忘れない」102ページ
問題は、私たちが何を考えているかということなのではなく、私たちが考えているという事実が問題なのだ!「私たちがこの世界の中にいて、そのことを深刻に受け止めている」という事実が、問題なのであり、この世界の中で起こる出来事が問題なのではない。私たちが自分はこの世界の中にいると信じているという事実が問題なのだ!(嗚呼なんてラディカルな教えだろう!)
私たちは、各人各様のたくさんの悩みや問題の数々を抱えており、それを一つ一つイエスのもとに運んで行って解決することを願う。しかし、イエス先生はただ、私たちの肩を軽く叩いて、「兄弟よ、あなたが考えていることは真理ではない」と言うだけだ。
そして、これもかなり衝撃的なことだが、私たちは実は心の奥底では「問題が存在してほしいと、私たち自身が望んでいる」のだ!なぜなら本当は「問題は存在していない」ということをあるレベルにおいては知っているからである。つまり、「分離した自己など存在しない」ということを知っているからこそ、「分離した自己が存在してほしい」つまり「問題が存在してほしい」と私たち自身が自ら望んでいるのだ!(すごい!)
結論として、私たちが知覚するどんな問題も実在せず、幻想であること、ただ一つの問題は、神から分離したことではなくて、私たちが神から分離したと「考えている」こと。
だから、どんな問題に遭遇しても、深刻に捉えないように、かつ、否認に陥らないように注意しながら、肩の力を抜いて、聖霊と共に、軽く笑い飛ばすことかなあ、と思いました。
(2023年4月 by DTA1973 )

