星は星でも…

父が他界してから、同時進行で様々な手続きに追われている。
銀行、生保、弁護士、税理士、遺品整理、香典返し…。
はじめは何から手を付けていいのかわからなかったけど、目の前のことを一つずつコツコツと片づけていたら、だんだんと見通しが立ってきた。

まるで、目の前のことをコツコツと教室にしていれば、だんだん全体像が見えてくる、コースの学びのようだと思った。

私はもともと、面倒くさい作業が好きなので、こまごまとした手続きは苦ではない。
厄介なのは姉への対応だ。
毎回、姉の無茶苦茶な内容のメールを読むたびに、「はぁ?何言ってんの?ばっかじゃないの?」とあきれるが、今は離れて暮らしているので、ひどく動揺することもなく、冷静に対応できている。

でもその分、直接会って激しく動揺していた時より、心を見ようとする意欲は減っている。

これを平和ボケというのだろうか。
なんかいろいろ赦しの機会を見逃している気がする、もっと気を引き締めて注意深く心を観察しなくては、と思ったが
いやいや待て待て、熱心にやる気を出すのはいいが、私たちが目印にしているのはイエス先生の星であって、巨人の星ではない。
血の汗流せ、涙をふくなと言われて歩く、試練の道ではないはずだ。

たまにはしんどい時もあるけど、それでも足取りは軽く、笑いを忘れず歩んでいきたい。
激動でも平凡でも、「別の道があるはずだ」と、思い出したいと思った。