隠されたもの
「ワークブック」レッスン93の以下の文を読んでいて、自分の中を見ていると、確かに分厚い皮を被ったかのように無反応なことに気づきました。
あなたが為したと思っているすべての悪は一度も為されたことはないと保証されて、なぜあなたは大喜びしないのだろうか。
(W-pI.93.4:1)
確かに、これを読んでいる私は喜んでいないし、何も感じない…
あなたが作り出した自己は神の子ではない。だから、その自己は、まったく存在していない。そしてその自己が行ったり考えたりしているように見えることは、すべて何の意味もない。
(W-pI.93.5:1-3)
そして続けてここを読んで、
分離を信じ自我と一体化している自己が無数に分裂して、心の外に投影されてこの物理的世界に存在している私、心の中のことは全く忘れているこの私が、行ったり考えたりしているすべてのことには何の意味もない、ということに反発を覚えているということでした。
私が今まで苦しんで何とかやってきたことに意味がない、存在すらしていないというのは虚しく、憤る気持ちがありました。
あなたの無罪性は神により保証されている。このことは、受け入れられるまで、何度でも繰り返されなければならない。
(W-pI.93.6:1-2)
つまり心としての私たちは何度でも繰り返さなければならないほど、罪悪感を抱いているということ。
私は自分自身を罪に苛まれた存在として捉えていないような感じがします。
…私が世界の中で恐れや罪悪感を抱く出来事を経験してきて、もう手放したいと思っているはずなのに、私は手放すことなど望んでいない?
…私はもしかして自分の罪を投影して、自分に罪がないというやり方でうまくやっていると信じている?
だからこの世界の問題と知覚されることを変えれば、私は今より幸せになれると考えているし、その延長に大きな幸せがあると思っている気がしました。
私は特別性を維持したまま、このレッスンを使って平安な気分を味わいたいだけなのかもしれない、と思いました。
これから私がいかに自分自身を有罪だと信じているか、その隠れた信念を見れるように学んでいきたいです。
(2022年11月 by yukihide )

