不思議な体験
自我と一体化しているとき、自分に特定の方向からのストレスがかかると、心理的・肉体的外傷やその二次被害の後遺症とされる幾つかのことを体験するし、その状態のまま、サバイバーの立場に立った専門書の中でも「良書」と評されているものを読んだりすれば、自分の心情を代弁してくれているかのように感じてしまい、私は「愛あるものに触れた」と勘違いしそうになる。
一方で私は、「後遺症とされる幾つかのことを経験しているのは過去の体験の結果だ、と言って私を納得させているのは私の自我であり、自我は問題を別のところに見て、真の原因を隠そうとしている」と学んでいるので、心のどこかで、「それは真の愛ではない」と気づいている。
数日前に、「今の私は、隠しておきたい自己そのものだ」と思えるような激しい苦しみを感じる瞬間が訪れた。外傷を再体験するどころの騒ぎではない。そのままでは、到底赦すことはできなかった。別の選択肢を選ぶことなどできない。なぜなら別の選択肢など見えていないのだから。
完全に罪を信じて、それを隠したいという誘惑におぼれていた……というより、自分がその欲求そのものなのではないかと思うほどの激しさだった。
だが、しばらく苦しみもがいているうちに、「これは間違っている」とはっきり思った。
そう思った私は誰なのか?
別の選択肢もあるのだと気づいたのは誰なのか?
振り返ってみると、ちょっと不思議な体験だった。
どんな状況にあろうと、平安を選択できるということを忘れたくない!
( 2023年1月 by Susan)

