これも自分の決断?

二人の方の最近の投稿に、「すべてが自分の決断だ」ということについて書かれていましたが、それを読んで、私もそのことが気になったので、自分でも考えてみました。

怒りも空腹も決断だなんて・・・
怒りはまだしも、空腹も決断なんだ・・・
体の感覚までも決断なら、確かに病気になることも決断ってことになるのかな。

これらのことは、意味としては分かるのですが、怒るときに「自分が怒りたいから怒っている」なんて感じることはありませんでした。

ですが最近、夫といさかいになり、一人になって落ち着いたときに、「どんなに夫が間違っていて私が正しいか、私の怒りが正当か」と考え始め・・・そのとき、「怒りも決断」という文章を思い出したのです。

そうすると、なんだか、急にしらけた気持ちになりました。
私は夫に対して怒ろうと決めたから、いま怒り出そうとしていた、と感じたのです。

確かに私は夫のせいにしたくて、怒りたくて、「夫はいつも〇〇、私のほうが大人で正しい!」 そういういつもの理屈を頭の中で叫ぼうとしていた。

その怒り始める自分の顔を、正面から見てしまったような感じでした。
それは、自分で見たくない顔でした。

「私は義憤にかられて怒るのだ、私が正義なのだ。」
そう世界中に見せたくて、自分でもそう振舞って被害者になろうとしていたのに、
「さぁ夫を攻撃してやるぞ」というサディスティックな笑顔が浮かんでいたのです。
それに気づいてガッカリしました。

私は怒りたかったのに、怒り出そうとした瞬間に「怒りも決断」という言葉が、私に水をぶっかけてきて、怒ることができませんでした。
きっと私は、怒ることが快感だと思っていたのです、だからそれを取り上げられてガッカリしたのです。

『奇跡講座入門』の読書会で投影について学び、「自分がどれほど敵を必要としているのか」について学んできたことも、今回の気づきにつながっている気がします。

私は、夫を攻撃しようとしたときに、確かに夫に自分の罪をなすりつけられる!」と喜んでいた気がします。

そのあとも、夫に怒ろうと考え始めるたびに、「怒りも決断」の言葉を思い出して、怒る気持ちが萎えてしまい、ほとんど怒らずに過ごしました。

確かに怒りたいから、いつも怒っていたんだなと感じられたことは大きな収穫でした。

(2023年2月 by peko)