探すべき場所
私は散髪の時間が好きだ。
チョキチョキ、チョキチョキ、音を聞きながら、
瞑想状態に入る。
するとあれやこれやと思考が浮かんできた。
家族、お金、病気、仕事・・・
この世界の色々な問題、それを思い浮かべながら
解決策を考える。
そうしているとふと、「この世界に希望はないのではないか?」という疑問が湧いてきた。
自分の外を探すのはやめなさい。なぜなら、あなたの苦痛はすべて、自分の望むものがどこで見つかるはずかについての自説を曲げずに、それを求めて不毛な探索をしていることに由来しているからである。もしそれがそこにはないとしたらどうだろう。あなたは自分が正しいことと、幸福であることの、どちらを好むだろうか。
T-29.Ⅶ.1:6-9
探す場所を間違えているのかもしれない。
なぜなら全ての問題が解決したとしても、最後には必ず「死」というゴールが待っているのだ。
それらの道には一つの到達地点しかない。そして、どれもみな、そこに到達するための手段でしかない。なぜなら、出発の仕方がどれほど違っているように見え、進み方がいかに違っているように見えようとも、そのすべての道が行き着くところはここだからである。到達地点は決まっている。どれを選んでもそれは選択ではないからである。そのすべてが死に至る。T-31.Ⅳ.2:8-11
「死」がこの世界の全てが必ず辿り着く場所ならば、
それが自我の思考体系の答えなのではないだろうか。

