赦しの練習のための動機

私が、『聖霊のレッスン』の「Ⅳ.聖霊のレッスンB」の解説の中で、とても惹かれる箇所は次の言葉です。

その動機を提供してくれるのが、「平安」の経験なのです。

『聖霊のレッスン』P.64

私は今、「決断のためのルール」の講義を受講していますが、ルールを練習していると、今まで攻撃したい感情に苦しんでいたのがスーッと消えて、心がとても穏やかで身体が軽くなった経験を何度かしました。それは、目の前では、相変わらず私にとっては好ましくない状況が繰り広げられているのに、今までとはまるで違う心の状態です。

あー、もしかしたらこれは聖霊を選んだ結果なのかもしれないと嬉しくなりました。

そして、また、これは特別な愛の関係を築いて、まやかしの愛を感じているのかもしれないとも思いました。

でも、この時の感覚はとても静かで、どこまでも広がるエネルギーのように感じ、とても穏やかでいつまでもこの気持ちでいたいと思いました。

これが「平安」なのかはわかりませんが、私の感じたこの気持ちで日常を過ごせたら幸せだなぁと思います。

その動機を提供してくれるのが、「平安」の経験なのです。

私の心の中で感じた平安は、間違いなく、レッスンを学び続けたいという動機になりました。

そういう意味で書いてあるのかしら、違うかもしれませんが、今の私の気持ちです。

そして、

「平安」とは、「神の子を、例外なく、全一なものとして見ること」からもたらされるものです。

しかも、その平安とは、勝者と敗者が存在する「戦いの終結」というような、この世界の平和ではなく、聖書の中で「 人知を越える神の平安」と言われている、この世のものではない内なる平安のことです。

『聖霊のレッスン』P.66

この平安とは、どんなものなのだろう、感じてみたいものだ、と思いました。真の平安を経験したいのです。

( 2022年8月 by aozora )