「自分なりのやり方」を見直す

「抵抗」とは、ものごとについての自我による見方のことであり、進歩と成長についての自我による解釈のことである。[P-2.Ⅰ.2:4]

これは以前「ワークブック解説」の講義を受けていた時に「抵抗」ってなんなのだろう?と思い、教材を調べていた時に出会った「精神療法の限界」というセクションの中の言葉です。

とても印象に残っていて、折に触れて考えてみる言葉です。

あの講義の時、加藤先生が、自分の抵抗に気づいていくことが大事なのです、と説明されていました。

それは納得できたのですが、私にはひとつ腑に落ちないことがありました。

私が好きなセクション「決断のためのルール」の中に出てくる「抵抗」という言葉が、私には「抵抗してはいけない」と言っているように読めて仕方なかったのです。

自分の抵抗にかまわず、このルールを遅滞なく守るように努めなさい。[T-30.Ⅰ.7:1]

これは抵抗感を抑え、助けはあなたに無理やり押しつけられているのではなく、それが自分が望んでいるものであり、自分に必要なものであるということを思い出させてくれる。[T-30.Ⅰ.9:3]

そうすれば、ここにはいかなる強要もあり得ず、自由であろうとして抵抗することに根拠がないことがわかるだろう。[T-30.Ⅰ.15:4]

「決断のためのルール」には、このように「抵抗」という言葉が沢山出てくるのですが、私はそれらを「抵抗してはいけない」と解釈していて、抵抗が出てこようとするたびに押さえつけていました。だから、「決断のためのルール」を実践しようとしても葛藤が強くなるばかりだし、その内容も全然わかりませんでした。

それで、講義の時に、加藤先生に質問をしました。

①私は「ワークブック解説」の講義の中で「抵抗に気づくことが大事」と教わった。
②しかし「決断のためのルール」では、「抵抗を感じてはいけない」と言っているように思える。
①と②の矛盾はどう解釈すればいいのでしょうか?

というような内容の質問でした。

それに対して加藤先生は、

必要なのは①と②の辻褄を合わせることではなく、②の前提を疑ってみること、そうすればふうせんさんの質問は自然消滅する、というようなことを言われました。

そして、この質問はふうせんさん自身の解釈によって生じている質問であり、このセクションにも、『奇跡講座』の全体にも、「抵抗を感じてはいけない」とは書いてはいなくて、ふうせんさん自身が「抵抗を感じてはいけない」と解釈しているだけという内容のことも教えてくださいました。

むしろ、「抵抗を感じるだろうから、そういうときにはこのようにしなさい」と、このセクションにも、「ワークブック」にも『奇跡講座』全体でも教えられている。そして、それを『奇跡講座』全体を読むときにも当てはめていくと、もっと色んなことが見えてくるはず…というようなことも教えてもらいました。

このように教えてもらったことが、私にはものすごくターニングポイントになったのです。

私はそれまで、「奇跡講座を学ぶ道のり」を自分の中で思い描いていました。自分がどのように「霊的に成長」するのか、「父や母はこのように赦して」「仕事のことはこのように赦して」「まだこの思い込みがあるから、これについて私は赦せていない」など、「自分の中の決め事」があって、それに合わせて、『奇跡講座』や教材も読む、というような…。

だから、「抵抗」についても「抵抗を感じるときは無理せず、気分転換をする。また気分が向いたら三部作や教材を読む。それまでは、自分の理解している範囲で赦す」という向き合い方でした。

でも、この質問をきっかけにして、自分の解釈を疑ってみるということを練習するようになり、上記に書いた「自分なりのやり方」を徐々に見直すことになりました。

『奇跡講座』の概念を真理の光として、色々なことに対する「自分の見方」を照らしていくと、「自分の見方」は確かに消滅していくように思います。消滅せざるを得ないというか…。これは「幻想を真理のもとに運ぶ」ということなのでしょうね。

そのように練習していると、「抵抗」が本当に色んな形で現れてくることを実感するようになりました。

「三部作は難しいから、読みたくない」「この解説ではこのように書いてあるけど、私は〇〇と思う」とか、考えに関することだけでなくて、最近では、両親に対する怒りや色々な不平不満なども、自分が真理に抵抗するために大事にしているものなのだということも感じるようになってきました。

そして「精神療法のプロセス」の「序」と「精神療法の限界」のセクションに書いてあることを何度も読んでいるうちに、気がついたことがありました。その内容を私なりに要約してみました。

精神療法においては、癒やしとは心の癒やしであるということを前提として受け入れている者同士が対座している。

とはいえ、患者は、自分の自己概念は変えずに、それを持ち続けることに伴う苦痛だけを取り除いてもらいたいと考えている。

セラピストは、自分が確かだと信じる何らかの形に患者の自己概念を変化させたいと望んでいる。

しかし、それらは両方とも妄想的なものである。

何故なら、それらの考えには自己概念を持ち続けるという自我の目的がある。そして自我は、精神療法には真の変化をもたらす力があり、それゆえ真の創造性を発揮することもできる、と誤った解釈をするので、精神療法の目標(聖霊のゴールにつながること)を制限してしまう。

患者が望む「自己概念」も、セラピストが信じる「確かだと感じられる形」も、「自分なりのやり方」であり「聖霊のゴール」の前では「単なる「抵抗」でしかないのですね。

自我と同一化している私たちにとっては「進歩と成長」のように感じられるものも、「聖霊のゴール」の前では「抵抗」ということになるのだなぁ…と軽く衝撃を受けたのでした。

( 2022年8月 by ふうせん )