要約する文に救いを求める
「赦すけど忘れない」の第11回目の講義 (書籍版 p.89〜p.98)を、要約してみての感想です。
ちょうど、要約の提出期限の数日前にトラブルが発生し、私の頭の中はそれをどうするかということで一杯になっていました。
トラブルに対する恐怖は日に日に大きくなり、私は思いつく限りの方法を試そうと居ても立っても居られない状態になっていました。
しかし、一方では要約を期限に間に合うように提出したいという思いもあり、強制的に第11回目の講義を何度も読んでいくということを繰り返していました。
要約をするときは、どうしても字面を追うことで文字数と格闘することが主眼となってしまい、肝心の学びが後回しになるような気がします。実際に実生活ではトラブルを抱え、自我を深刻に捉え、自我にひたすら注目していました。
けれども、ついにそのトラブルの決着をつけなければいけない朝が訪れ、私はなす術もなく、要約する文に救いを求めました。
すると、以下の文の内容が、心のパズルのピースにぴったりとハマった感覚がありました。
自我は何よりも「注目される」ということを好みます。研究され、分析され、説明され、理解されるということが大好きです。それにより、自我が本来は持ち合わせていない実在性を与えられるからです。(書籍版 p.91-p.92)
さらに、ワークブックのレッスン24の主題概念も思い出されました。
私は自分の最善の利益を知覚していない。[W−pⅠ.24]
そうした概念について考えているうちに、いつの間にか私はもうジタバタすることをあきらめ、なすがままの状態でその時を迎えることができました。
その結果について考えても、「私にはどうにもならないことだ」と手放すことができたように思えました。
執着がなくなるというか、もうそれ以上そのことについて考える必要がないという不思議な体験がありました。
まだまだ学びの初心者ですが、学びと実際の生活の中の出来事がどのように関連していくのかを知りたいと思っています。知的理解のための学び、赦しの実践のどちらとも、引き続き粘り強くやっていきたいと思います。
( 2024年8月 by ららら )

