〈赦し〉への意欲について

赦そうとしなければ同じ位置にとどまり続けるのだなあ・・・と感じる。

赦そう、赦したい、という自分の気持ちがなければ変化は訪れない。

『奇跡講座』を学ぶ。学ぶことで、赦しに向かう人もいるし、それが自分のしたいことではなければ他の道に進んで行く場合もある。

学んで、理解が少しずつ深まって、赦したいと思うことが多くなってきても、赦したくないという気持ちやそれに気づかない時間さえとても多く過ごしている。

どんな時も、自分が赦したいと思うことや、赦し、イエス先生やワプニック先生、フォーラムの皆さんのことや講義のこと・・・・・それらに思いを寄せるときは心に向かうことが手に届きそうで、赦しに向かいやすいけれど、そして、赦しに向きを変えることになるけれど、それをしない時には、赦しには向かえない、ということです。

学んでいる。学ぶことで、赦しのことを思い出しやすくはなるかもしれない。意欲も持ちやすいかもしれない。でも、最後の決断は(赦しに向かうかどうか)、自分がしなくてはならない。

自分がそうしようと思うことしか、しないし、できない。

赦せば、必ず変化は訪れる。その変化は外の世界のことではなくて、心の中で起こること。

外の世界に変化が起こることも多々ある。それは自分の心の反映が表れる、当たり前のこと。

それを目的にするのは、赦そうとしないこと。

皆さんの投稿を読ませていただき、自分の気持ちだけが、赦しに向かうことを可能にするのだなと本当に染み入って感じています。

( 2023年2月 by maru )