「勝利を見すえて(第1回)」の感想
ケネス・ワプニック博士による小論文
「勝利を見すえて(第1回)」を読んで、印象に残ったことを書いてみたいと思います。
本稿は、この歌の感動的なリフレインの歌詞「勝利を見すえて、挫けずに進め!」をテーマとしています。というのも『奇跡講座』の中で、イエスは私たちに、それと同様のことを求めているからです。「勝利/褒賞(すなわち救済)から目を離さずにいなさい。自分の目的を思い出しなさい。そして、あなたが神の子として正当に受け継いだものを取り戻して故郷に帰る旅をする間、私から離れずにいなさい」と。
早速、曲名を検索して歌を聴いてみました。この印象的なフレーズが繰り返されていて、節回しも覚えやすく口になじみます。歌詞も調べてみるといくつかバージョンがあるようですが、聴いたものはパウロとシラスという新約聖書の話が元になっているようでした。
毎日の生活に追われていると、私たちは自分がこの世界にやってきた目的について、〈正しい心〉の見地から思い出すのが難しい、ということになりがちです。その目的とは、救済という褒賞の獲得へとつながる〈赦し〉のレッスンを学ぶことです。
私にはいろんな人生の意味や目的があるように思えていても、『奇跡講座』の分離を取り消す見地からは、赦しのレッスンを学ぶことだけが目的なのですね。
私たちはまた、自分が最初に『奇跡講座』の何に惹かれたのかということ、すなわち、初めてこの本を開いたときに私たちに語りかけてきたあの「何か」(または「誰か」)のことを、忘れてしまいがちです。最終的には、この「何か」というのは、その形態の如何に関わりなく、「愛を引き寄せる愛の魅力」(T-12.VIII)にほかなりません。
ここを読んで自分が『奇跡講座』を初めて読んだときのことを思い出そうとしましたが、内容についてはとにかく難しいことが書いてあるという印象で、いつの間に「愛の魅力」に引き寄せられたのか、こうして今学んでいるのが何か不思議に感じます。フォーラムのみなさんの中には、この語りかけてきた「何か」を感じられた方もおられるのかと想像します。
実際のところ、「ワークブック」の1年間にわたるレッスンの目的が、まさに、褒賞から目を離さないでいられるように心を訓練することにあります。毎朝、目が覚めた瞬間から、夜になって眠りにつく時まで、それから、再び夜が明けて、新しい一日を迎える時までが、「様々な関係を癒す」という私たちの毎日の目的を覚えておくための訓練となっています。
ここを読むと、私はワークブックの心の訓練プログラムをまだ履修できておらず、『奇跡講座』の道を歩き始めていないのかとも思います。そのための準備をしている段階なのかなと思います。
イエスが私たちに思い出させようとしているのは…
・私たちはこの世界に振り回されているわけではない。
・実は、私たちを振り回しているのも、私たちの〈正しい心〉の意図に反する告発をするのも自我であり、私たちの心の決断が自我に力を与えている。
・世界の目的(=代価を支払って更に多くの〈特別性〉の玩具を蓄える)を、忘れる必要がある。
・毎日の目的(=心が抱いた“罪と裁き”という間違いだらけの信念体系を癒す)を、思い出す必要がある。
・自分は夢を見ている心であり、肉体という夢の中の登場人物ではない、と認識する。
私たちの究極の目的は分離の夢から目覚めることであり、具体的な目的は、救済という褒賞を獲得するための必須条件として、毎日赦しを練習することであり、そのことを、絶え間なく、着実に、毎日、自分自身に知らせる必要があります。
この「絶え間なく、着実に、毎日、自分自身に知らせる必要がある」ということが胸に刺さります。
聖ベネディクトにより「戒律」として書かれた修道生活の礎となった言葉
朝目覚めたらすぐに、何よりも先に神を思い出し、一日中、神のことを想っていなければならない。あらゆるものごとにおいて、神こそが称えられるべきものである。キリスト以上に好ましく思えるものがあってはならない。
この考え方は、『奇跡講座』が「肉体から心へ、形態から内容へ、自我から神への移行」として認識するようにと私たちに教えてきたことを彷彿とさせます。
彷彿とさせるとありますが、奇跡講座をこのような移行の側面からはっきりと意識したことがなかったので、最初はまったくピンときませんでした。
聖ベネディクトの考え方の奇跡講座バージョン:
・「自我による“私たちの源”の否定」を否定する、ということに重点。
・この世界は無価値な玩具を「価値があるもの」と確信させようとするが、断じて拒否する。
→決断する心は「神と神の国を守るためだけに警戒する」ことを続けることができる。
幻想の闇を真理の光のもとに運ぶとき、心の中で、真の自己の真理が浮上することが可能になる。
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『奇跡講座』では「自我による否定を否定する」ことで、救済という報奨が得られるのだから頑張れと、励ましてくれているのだと思いました。
それは「戒律」といえるぐらい毎日のあらゆる瞬間に意識して、生きる姿勢となるように練習をする必要があるということだと思いました。
私はこれを読んで、そうすることに自分の中に抵抗や疑問を感じないわけでは決してないけれども、また無意識にはさらに苛烈な抵抗があるのだと思いますが、少なくとも意識的にはそうできるようになりたいという思いはあります。
コースを読み始めた当初は、こうしたことを読んだとしても、確実に拒絶反応が起きただろうと思います。自分でもわからないぐらい少しずつ受け入れてきたのかもしれません。
(2023年7月 by 匿名)

