時空を超えた「心」
私は、『奇跡講座』の学びや実践が、楽器の練習のような目に見える効果として感じられないことに、戸惑いを覚えることがありました。
正しく「赦しの練習」をしているだろうか?
〈正しい心〉には、いつになったら触れることができるだろうか?
しまいには、『奇跡講座』を離れていく人の気持ちが分かる、とまで思っていました。
今朝もそのように、落ち着きのない心境でした。
その後、JQA#26:「個別的な心」について、と、V#25:「心と頭脳」を視聴しているうちに、すうーっとその心境が消えていきました。
…『奇跡講座』に関する限り、「心」の意味として最も重要なのは、それが「選択をする」ということを行なっている部分であるということです。さらに、それはこの世界のレベルで生きていると思っている個人としての「自分」には、普段は意識されていないレベルの「選択」だという点です。
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心は時間も空間も超えたものです。
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実際のところ、それは、時空の世界が存在するようになる前から存在していました。
学びは、頭脳が入口だとしても、そこに留まっていては、『奇跡講座』は理解できないのだと思いました。
「心」とは普段は意識されていないレベルのことであり、時間も空間も超えたものとなると、意識できるレベルではお手上げです。
目に見える効果が意識にのぼってこなくても、日々の赦しの練習は、時空を超えた「心」にきっと通じているだろう、と信じながら大らかな気持ちで学んでいきたいと思いました。
(2024年12月 by kiseki)

