夢について③

この壮大な、この全宇宙史を包含する世界の夢想ですが、テキスト27章ではもう一つのレベルの<夢>が背後にひそんでいることについても言及していてハッとします。これが「密かな夢」と表現されているもので、 原因についてのコース(JACIM、DVD)に頻繁に出てくる図では「間違った心」にあたります。

そしてもっとハッとしたのは、“世界の夢想”と“密かな夢”には隔たりがないということです。“隔たり”とは実相とそれ以外(世界の夢想も密かな夢もひっくるめ)にしかないのですね。“世界の夢想”と“密かな夢”はひとつのもの。想念はその源を離れないわけですものね。だからこそ、この世界の夢想を赦すことで分離という密かな夢も赦されていくのでしょうね。

実相と夢の間の隔たりは、この世界の夢想と、あなたが密かに見ている夢との間にあるのではない。それらはひとつのものである。この世界の夢想とは、あなた自身の夢の一部に他ならず、あなたはその一部(*たぶん密かな夢のことでしょうか、忘却のベールで忘れることにした、、、)を投げ出して、あたかもその一部が世界の夢想のはじまりと終わりの両方であるかのように見えた。しかし、それはあなたの密かな夢によって始まった。その夢が、あなたが見ていて実在性を疑っていない部分の原因となっているにもかかわらず、あなたはそのことを知覚していない。[T-27.VII.11:4-7]

あくまで原因は間違った心、密かな夢だということで、JACIMのDVDで扱われていたようにこれは原因のためのコースなのですね。結果ではなく原因、肉体ではなく心のためのコース。

以前、(JACIMフォーラム上の)コンコルダンスのトピックで「心は肉体のなかには存在していない」という文を挙げたことがありましたが、この肉体、世界に心がないのであれば、どうやって本当の赦しの場である心にアクセスできるのだろうと疑問を持っていたことがありました。しかし、この世界の夢想と密かな夢に隔たりがないからこそアクセスできているのかなと今は思うようになりました。というか、アクセスできないでいることができない(回りくどいですが(笑))。どの瞬間も心が自我か聖霊を選んでいる(無自覚でいることはできても、どちらかを選ばないでいることができない)のですね。

(2018年7月byひつじ)