聖霊への真の信頼
書籍『赦しのカリキュラム』より、「質問45. イエスや聖霊が、私にレッスンを送ってくるのでしょうか?」を要約しての感想です。
実は、聖霊やイエスはこの世界の中では何もしないのです。なぜなら、すべての訂正や癒しは心のレベルにおいて生じるからです。(p.191)
以前これを読んだとき、まるで突然足をすくわれたような、どうしようもない不安と恐怖に襲われ、それがしばらく続いたことを思い出しました。
ところが、今回はそのような動揺はなく淡々と読んでいました。
ですから、私たちの脚本を書き、選択するのは、私たち ー 私たちの心の中の〈決断の主体〉ー であり、イエスの役割は、私たちに、「自分が選んだものをどのように見るかについて別の選択ができる」ということを思い出させることです。この、イエスの愛を傍らにしつつ見る、ということが、『奇跡講座』による赦しの意味の核心です。(p.195)
・・・聖霊がこの世界の中で私たちのためにものごとを行なってくれると私たちは告げられていますが、その目的は、私たちが自我の基本的な思考体系から癒されることにあります。 自我の思考体系は、聖霊は存在しないし、たとえ存在していたとしても、決して私たちを慰め、導いてくれるような親しみのもてる存在ではないと教えるからです。『奇跡講座』が真に教えているのは言葉そのもの ( 形態 ) ではなく、その奥にある意味 ( 内容 ) です。イエスがこうした比喩的な言語を使用している目的は、怒りと復讐の神が人々の罪ゆえに人々を罰するだろうという自我の想念を、私たちが取り消すのを助けることにあります。(p.197)
・・・それゆえ、『奇跡講座』の受講生として、私たちは最初に、神は憎悪ではなく愛に満ちた父であり、聖霊は敵ではなく私たちを慰めてくれる仲間であると学ぶのです。そのあとではじめて私たちは、イエスや聖霊に慰めてもらう場としてのこの世界が実際には存在していないということを、学ぶことができるようになります。(p.199)
もしかすると、聖霊への信頼という部分が、少しずつ癒されてきたのかもしれません。
まだ自分の問題を神や聖霊に転嫁しがちですが、そうしていることに気づいて「脚本家は自分だ」ということを思い出せるよう意識していたいです。
要約って何?と思いながらも、今回2回目の飛び入り参加をさせていただきました。
それでも、要約を目的として繰り返し文章に集中して向き合うことで、認識していなかった点や、自己流に解釈していたことなど、気づくことが多くて驚いています。
今まで深く教材と向き合ってこなかったことも再認識しました。
とてもプラスの経験ができていると感じています。
( 2025年6月 by ginger )

