本当にしなければならないこと
もうすぐ週末のお休みが終わろうとしているが、私はこの二日間の休日を殆ど何もしないままに過ごした。
長らくフォーラムの投稿を読むのも書くのも楽しみに過ごしていたが、金曜日に一日中アクセス出来なかったことにちょっと不貞腐れて(というのは、全くの言い訳で)、金曜日の晩から夜更かししてドラマを見てしまい、昨日の朝は起きられず、何となく出鼻をくじかれたまま何もする気になれず、そのままゴロゴロと食っちゃ寝~の怠惰な生活をして過ごした。
動かないで食べると直ぐに太ると信じているので、欲望のままに食べ過ぎたことや、動きたくなくてゴロゴロしていることに、大抵嫌気がさして来るのだが、昨日は取り敢えずこの欲望の赴くまま過ごしてみることにした。
以前はこんなことが何度もあった。
そして、その都度そのような自堕落で意志薄弱な自分を自己嫌悪していたことを思い出した。
今回も「あ~、またこんな自堕落な事をやっている」と責める気持ちが直ぐに出て来るのだが、「これこそが罪悪感で、この様に自分の罪を実在化して、それにより自我を温存させようとしているだけなんだ」と客観的に理解している部分もあった。
従って、この場合私が本当にしなければならないことは、自己嫌悪に陥る事ではなく、この罪悪感こそ聖霊に差し出し訂正して貰うことなのだが、この度私はこれを本当にしたくないのだということを実感した。
自分を責めることは容易にしそうになるのに、この罪悪感を差し出すことが必要だと頭で理解していても、それは嫌だ!という気持ちが相当強いことをはっきりと実感した。
全く狂っているけど、罪悪感の苦しみの中に留まったままでいいんだと願っているのだ。
自我としての私は、本当に自我を手放したくないのだと、改めて理解した。
それでも、聖霊はこのような私の願望も承知の上で、優しく微笑んで私を見守ってくれているのだろうと思う。
この自分の執着を、素直に認めていきたい。
( 2022年8月 by クマ )

