根底にある信念

先日、有休休暇を申請しようと上司に「〇日に有給が欲しいんですけど」と伝えると、「う~ん、その日はダメだね」と言われた。

その日はいつもより職員が3人も多い日で、まさか断られるとは思ってなかったのでショックで、しかももう予定も入れちゃってるしどうしよう…、と途方に暮れていると、上司より勤務年数の長いベテランさんが、「〇日有給とっていい~?」とシフト表をもってやってきた。

当然、「その日はダメだね」っていうのかと思いきや、なんと、「いいよ~」といって、シフト表に(有)と書きやがった!

な、な、な、なんですとーーーー!!! これが怒らずにいられますか!キーーー! (。-`ω-)

と、ひとしきり怒り狂い、いい加減怒りもおさまったところで、そういえば !と

【質問】No.115 昇給を要求することは間違っていますか?を思い出した。

思い出したといっても、すぐに読むことができなかったので、なんとなく、「この怒りの原因は上司ではない、でもだからといって有給をとらなくてもいい(有給をとらなくても私は満たされている)ということではなく、冷静に必要な話し合いをするだけだ」という感じで思い出し、怒りや恐れや罪悪感のない状態で、冷静に、「私も〇日有給とってもいいですか」と伝えることができた。

上司の反応は「も~、仕方ないなぁ~」と、いかにも、私のわがままを聞いてあげる、というような言い方をしたので、またブチ切れそうになったが、まぁ、取れればいいや、って感じであまり気にならなかった。

その後、帰宅してから正確に把握しておこうと、【質問】No.115 を読み返したら、いたるところに、とても大事なことが書かれていた☆彡

とても感動して、自分が受けた不当な扱いによる不快感もどこかにふっ飛んで行った。

いや飛んで行ったどころか、読み返す機会をくれたことに大いに感謝した。

しかし、しばらくすると、【質問】No.115 の内容を全く思い出せなくなっていた。

あれ?何が書いてあったっけ?

不思議だ、あんなに感動したのに、今は何も思い出せない。

愕然とした。あんなにキラキラ感動していたのに、何も残っていないような気がした。

感動するだけじゃダメなのか…。

金銭や貧困や不正義などについての不安の背後にあるのは、「神からの分離が真に達成された」という信念からくる欠如と剥奪の感覚です。この根源的な信念こそが、聖霊が私たちに疑ってみるようにと促しているものです。あなたと雇い主との間の軋轢の根底にあるのが、その信念です。あなたが給料のことで合意に達するために雇い主と話し合う際には、あなたが感じていることや、生じてくる裁きの想念などについて自分に正直になることにより、『奇跡講座』の教えを適用することができます。

【質問】No.115
昇給を要求することは間違っていますか?

もう一度、今回の出来事によって沸き起こってきた感情を使って、その根底にある信念を、じっくり見てみようと思った。

(2022年2月 by アムロ)