有頂天
先日損な役回りを、誰がするかについて抽選があった。
そして私は抽選から外れた。
その時「やったー!」と高揚感が湧いてきた、「私は罰を免れた、ついてる!」というような感じである。
コースを学ぶ前はその感覚に対して、「ヤッター、ヤッター、ヤッターマン!」という感じで、神輿から落とされるまで乗っかっていたのだが、最近は何か変だなと感じるようになり、この「有頂天」という感覚も、聖霊のもとへ運び見るということを心がけている。
以下の質問を読んでみた。
「自分が感じている喜びが、神からのものなのか、<特別性>に起因するものなのかが、どのようにして自分に区別できるのか」という点については、一つには、赦しの実践によって、体験的にわかっていくという側面があります。それとともに、やはり、<特別性>についてよりよく理解することが助けになります。いずれにしても、自分の中の<特別性>の思考に敏感になっていけば、両者を混同することは少なくなっていきます。
JQA#21: 神からの喜びと特別性に起因する喜びを、どのようにして区別するのか
自分が感じている喜びが、神からのものなのか、<特別性>に起因するものなのかを区別することはまだまだ難しい。
しかし、今回のことでそれらの間にはやはり違いがあるように感じられた。
