「聞く」ということ

今朝、ワークブックを読んでいて、イエス先生の言葉に耳を傾けているのを感じました。

その時に気が付いたことがあります。

耳を傾けているときには、自分が肉体であるという概念に「それではつじつまが合わない」という思いを経て、耳を傾ける姿勢へ移行していくようです。

不思議だなあと思います。

自分が肉体である、と信じ切っていれば、『奇跡講座』は馬鹿らしくて読めたものではない!のに、『奇跡講座』を開いて、読み始めるときはいつでも「自分は肉体である」と信じているのに、読むうちに「耳を傾ける」ようになっていることです。

読むうちに、こんな風に自分の意識がシフトしていくようでした。
「自分が肉体であるなら、ここに書いてあることとつじつまが合わない」

自分が肉体である、と信じて疑わないのなら、そこで読むのを止めると思うけれど、「自分が肉体であるならば、ここに書いてあることとつじつまが合わない。だから、どうやら私は肉体ではないらしい。」と思い始めて、イエス先生の言葉に耳を傾ける下地が出来上がっていくように感じました。

そのように感じていて「耳を傾ける?」と思いました。

「耳を傾ける」、比喩と言えば比喩ですが、でも、耳を傾けるのです!聞こうとするのです!聞こえていない声に耳を傾けようとするのです!

それはまるで、「自分が静かになって、、、、」「静かにして、、、、、」と、こんな風にして自分がワークブックを読んでいることに気が付きました。

「聞く」、というのは、今まで耳から聞く、と思っていたけれど、どうなんでしょうか。

「聞く」、と言う言葉の定義の違い、と言ってみればそれまでかもしれませんが、、、、。

しかし???

肉体の私には、耳があって、音を聞く、という機能があるのですから、自分のことを肉体だと思っていれば、その私が「聞く」と言うとき、それは音のことかもしれません。

でも、私たちが神の子だとしたら、その私たちが聞くのは音のない声なのでしょうか。

その声には、音がないとしたら??

声って、何でしょうか。

神の子が聞く、と言うとき「きく」とは、なにを、どうやって聞いていることをもって、きく、と言っているのでしょうか。

確かに静かにして、耳を傾けて読んでいました。

音を聞くわけではないのに、聞き分けようとしているのです。

今後も観察しながら、実験を続けていきます。

(2022年6月 by maru)