自我と聖霊を、行ったり来たり
テキストから引用します。
あなたの心は私の心につながることを選択するだろう。そして、共に居れば私たちは無敵である。
(T-8.Ⅴ.3:1-6)
私は、「共に居れば私たちは無敵である。」の部分が大好きです
イエス先生から、チームメイトとして励ましてもらっている気分になります。
きついかもしれないけど、絶対大丈夫と励ましてもらえているから心強いです。
キリストの心しかないイエス先生とつながるとき、本当の意味ですべての人と(心と心が)通じ合い、それは神とも通じることにもなると思うので、その状態にあれば、誰のことも「敵である」とは解釈できないでので、無敵ですね!
けれど、それを(イエス先生とつながっているということを)本当になせるものなのかどうなのか、それを本当に自分が望んでいるのどうか、そんなことが可能なのかどうか、やっぱり自信が揺らぎます。
ふと、自我と聖霊を行ったり来たり、ということを思い出しました。
自信が揺らぐときは、自我に「来たり」しているのかもしれません。
だからまた、聖霊に「行ったり」したいものです。
そのためには、自我に「来たり」している状態から、聖霊に「行きたい」と思えるまで
「来たり」している状態が自分に何をもたらしているのか、「行ったり」しているときには自分に何がもたらされているのかを、正直に見つめることが役に立ちそうだと思いました。

