鯉の滝登り

息子の朝食の準備をしながら、イライラしていた。

午前中の貴重な時間、集中力のある時間のうちにウクレレの練習もしたいし本も読みたい!なのになぜ、こんなルーティン作業をしなくてはならないのか。

息子はスマホをいじっている。

私  「スマホやめなさい!」

息子 「宿題してたもん」

私  「は?SNS見てたやん」

息子 「課題に必要な動画の保存期間過ぎてたからだもん」

私  「 ??!どうしてそんなことになるのよ!!! 」

息子は、高校の課題の提出期限を守れないことがちょくちょくあるようだ。

だから、その対策として、課題が出された日に、即、取り組むと宣言していた。

しかし、課題の存在自体に気がついてなかった例も複数あると判明し、確認不足が過ぎるやろ!!!と、怒りが募る。

ともかく、朝食をよそうのを自分でさせる。

ご飯をよそおうとする息子。

私  「手、洗ったの???!!! 」

息子 「あ、ごめん 」

ここらへんでイライラのピークに達し、あきらかに相手を傷つけよう、攻撃しようとする意志を語調に乗せて、そんな自分を自覚しつつ、その感情の奥に進もうとした。

レッスン5「私は自分が考えているような理由で、動揺しているのではない」

文言が浮かんだわけではないけれど、今日は、自然と、一歩引けた。

感情の奥に進もうとすることは、鯉の滝登りにちょっと似てるかな?という気がした。

滝といっても距離があるわけではないし鯉ほどの必死さ(?)があるわけではないけれど。

今日は、上りエスカレーターが止まっているのに気付かずに、足を進ませたときのような違和感と、下りエスカレーターを、間違えて上ろうとするときのような、進まない感じがした。

普段、自我の思考体系で、心から離れようとする力学で無意識に過ごしているから

心に戻ろうとすると、抵抗をいろいろな形で感じるのだろうと思う。

とはいえ、感情の奥に進もうとした途端、私と息子との関係性がフラットになった気がして、イライラした感情は霧散したようだった。

ホッとするし、うれしい気持ちがわきあがるけれど、ここで即座に引き返さずに、引き続き、心をみつめる、心に戻る意欲をもつ、を実践したいと思った。

見えない何かに、やさしく支えてもらっているような、穏やかな心地がしている。

今日は、ここから行動できるといいなと思う。

(2020年8月 by カラコル)