方向転換

昨日、同僚からありえない言いがかりをつけられた。

(朝、会社入口のタイムキーパーの前で)

私「あ!昨日の帰り、タイムカードを押し忘れてる!しまった~”(-“”-)”」

同僚「え?私も押し忘れてるかも!(カードを確認し、ちゃんと押していたことを確認すると)

もう!アムロさんが変なこというから心配したじゃないの!どうしてくれるの!」

といってドンっと肩を突き飛ばされた。

さらに

同僚「いったいなんなの?悪魔のささやきみたいなこと言って。もう!アムロさんのせいで朝から最悪な気分…」

と、いつまでもくどくど言いがかりをつけてくるので、 つい

「はぁ?それ私のせいですか?」と睨んでしまった。

その後も怒りは収まらず、自分がスティーブ・ジョブズになって大きなスクリーンに同僚を映し出し、「この言いがかりがいかに理不尽なものであったか!」を観客に向けてプレゼンしている姿を想像し、客席から「それは酷すぎる!」と拍手喝采で賛同してもらう所を何度も想像し、その都度満足していると、ふと

でもこんな場面、これから何回も訪れるはずだ、と気が付いた。

そして

私はその度にスクリーンの前に立ち、大衆に向かっていかに私が正しく、いかに相手が理不尽であるのかをプレゼンし、拍手喝采を受け大衆の賛同を得て、自分の正当性を証明し満足するということを、永遠に繰り返すのだろうか?

なんだかむなしくなった。

自分が出口のない袋小路に入っているような気がして、できればそんなことはしたくないと思い、何か別の方法はないのだろうか?と思っていると、「思考の逆転」P100のを思いだした。

私は常に自我のほうを向いていて、そのことをすっかり忘れている。

そんな「常に自我が教師」という何の変哲もない日常にも、時々何かしらのアクシデントがある。

昨日の怒りのような事だ。

それを、「あ、自我を教師にしてた」と気がつくために使ってはどうだろうか?と思いついた。

相手に対して怒る、相手を責める、また、怒った自分を責める、これらの全てを

「あ、今、自我を選択してる」と気づくきっかけとし、クルッと向きを変え、聖霊のほうを見る。

相手がどんなに理不尽か 自分がどんなに罪深いかは関係ない。

ただ、自我のほうを向いていたと気づいて、再び聖霊のほうへ向きを変えるきっかけとする。

まだ思いついたばかりなのでよくわからないが とりあえず今日一日、試してみようと思う。

言うは易し行うは難し

何事もまずは練習である。

(2019年4月、byアムロ)