欠乏感

冊子、「聖霊のレッスン」P82からの引用です。

この考え方の前提となっているのは、「自分には欠けているものがある」という欠乏の原理です。それは最初は、神から分離したことによって生じた欠乏感でしたが、この世界のレベルでは、すべての人が自分の必要を満たすためには、それを自分の外のどこかから取ってこなければならないということに反映されています。

「聖霊のレッスン」P82

このことに関して感じたことがあったので、それを書きたいと思います。

先日ある集まりに参加した時のことです。

〈特別な関係〉って、本当に奪うんだな、自分のことしか考えてなくて、人のことはどうでもいいんだな、と感じて驚いたのです。

その場はとても和やかな場で、恐らくそんなことは誰も感じていなかったと思いますが、

私には、自分の欠乏感を手っ取り早く埋めるために、相手に要求する人たちに見えました。

そのための他者の労力や疲弊といったものは自分には関係ない、本当に自分中心なんだな、と思い

普段自分がこのようなことをしているのか、とゾッとしたのです。

自我の想念の醜さを感じました。

そのような醜いものを抱え続けるのは嫌だなぁ、と思ったのですが、だからといってすぐに手放せるわけでもなく、

ここはやっぱり忍耐強くやっていくしかないんだなぁ、と改めて感じました。