「見極める」練習

読書会の休憩の間、友人との関係が赦しのレッスンとなりました。
私は、友人に自分の恐れを投影して見ていて、とても怖がっていたのですが、それが完璧に見事に隠蔽されていました。

テキストを読んでいた時に、突然それに気がついたのです。今回はなぜか気がつけてそれはよかったのですが、それまで隠していた時には本当に自分の恐れに気がついていなかったので、その自我の巧みさに驚きました。しかも途中投影についても考えたけれども、『自我は先に語る』で、あーだこーだと「〜を投影しているんだよ」と分析して話す自我の声にすっかり騙され、それで自分を無理矢理納得させていました。こうやって隠すのだなと納得してしまいました。←この隠蔽工作は他の時にも良くやっていると思います。

形としては親切を装い、友人(形態)を何とかしようとしていました。そして内心では友人のせいで私は不快になっていると、友人を攻めていました。

だから「見極める」がとても響きます!認識されていないところを見ていくのですね。それは簡単ではないですね。
投影している罪悪感に気がつくのも、自我の声を「見極め」それは脇に置き「じっと見て」さらに「見極める」なのだと思いました。つくづくこれは練習が必要だと思いました。