「私はそこには行かない」
最近、赦しに取り組むためのレッスンがどんどん現れ、本当に苦しい時がありました。
フォーラムに投稿できない時もありました。
でも頑張って学ばれている皆さんの姿に、「置いていかれたくない」と、なんとか意欲を取り戻すことができました。
そして終わってみると、赦すことだけが平安への方法だということが、以前より受け入れやすくなった気がします。
その反面、私がまだ真に平安を望んでいないとハッキリわかることも増えました。
ビデオ 赦しのメロディー(2)で
その患者は、暗闇と恐怖のトンネルを抜け、光が見え始めた時でも、依然として、「自分が行くつもりのない場所がある」ということを意識していたとのことです。
そして、それを乗り越え、ほぼ回復し、比較的普通の生活を送れるようになったときでも、まだ、彼自身がはっきりと、「自分はそこには行かない」と述べていた「場所」があったとのことでした。
それを読んだ時、それこそが、私がシューベルトの中にあると感じていた「場所」であり、他の人々の中にもあると感じ始めていた「場所」だとわかりました。
私自身も、それを、ベートーベンの音楽を聴くたびに、自分の中に感じることができるようになり、そのとき、旅を終える前に「まだやるべきことがある」、「まだ行くべき場所がある」、「まだ旅の残りがある」ということを意識したのです。
赦しのメロディー(2)
と、ワプニック先生が語られていましたが、最近の葛藤を感じる苦しい場面で「これがそうなのだ」と、ハッキリ感じることがありました。
聖霊に抵抗している自分、聖霊を選びたくないという抵抗を見つめながら
「あー、そうだったのか」と、これまでの赦しがうまくいかなかったと感じた場面の、全てが腑に落ちるような感覚がありました。
それ以来、可能なときに、それを聴こうと試みていると、自分の抵抗、他の人々の抵抗が「聖霊に対する抵抗」として、同じもののように感じられることが、(本当にたまにですが)現れるようになりました。
そして、それは急がずコツコツと冷静に見て行けば良いことなのだ、そのように真の赦しへの恐れがあるのは、肉体として自分を認識せざるを得ない今の私には当たり前のことで、そのことが、自分を責める理由にはならないのだ、と思えるようになりました。
そして、それは他の人々も全く同じなのであり、そう見えない時は(人々の中にいるときはほとんどそうですが)、それが「自分自身を赦す」必要があることを教えてくれるサインなのだと思いました。
この長期的なプロセスを意識しながらも、私たちが実践すべきことは、いつも同じ赦しのプロセスです。あとは、できる限り一瞬一瞬を、赦しを実践しつつ生きるのみです。
「聖霊のレッスン」200ページ
赦しとは、例えば、誘導瞑想とかヒーリングの手法などといった、テクニック的なものではなく、生き方です。それが身についていけばいくほど、この道を進む意欲が増していきます。
「聖霊のレッスン」201ページ
と、ありますが、本当にこの道だけが自分の道となるように願います。
そのために「それを望んでいないとき」には、そのことに気づいていけるように、警戒しながら毎日を過ごしていきたいと思いました。
(2022年12月 by ふうせん)

