経験

コインランドリーに「聖霊様のなんちゃら・・・」とか「何とかの祈り・・・」とか、そういう題名の本が置いてあった。

何となく、手に取ってみようという気になり、パラパラめくってみたら、「聖霊様は、神様の代わりに姿を表してくださいます」とか、「イエス様は(神様だったか?)朝、早い時間に姿を現わしてくださいます」とか、「朝の祈りが一番大事な理由は・・・」とか、「初めて、私の部屋にイエス様が姿を現わしてくださったときは・・・」とか・・・そういうことが書いてあるようだった。

神様・・・イエス様が、その著者の人に姿を現わしてくれた、ということのようだ。それで、その方は、どうすれば神様・・・・・・イエス様、聖霊様に会えるのか、ということを熱心に書いておられた。

それを読んでいて、「へえ・・・・そういうことが実際、この人に起こったんだなあ・・・。」と何だか、素直に思った。この世界で、そういうことを経験する人もいるのかもしれない。

この人は、でたらめや空想を書いているのではなく、この人には、ここで書かれていることが本当に起ったのだろう・・・・。それで、この人にとって、その経験はあまりにも衝撃的なことだったので、焦点がその経験の上に留まっているのかもしれない。でも、それは間違いというわけではなくて、この人にとっては、それは必要なことだろう・・・と思った。

どんなことも、この世界で起こりえるんだなあ・・・と思った。正しい心の反映で、このようなことを経験する人も、きっといるだろう。間違った心の投影で、このようなことを経験している人も、きっといるだろう。何だって、どんなことだってこの世界で起こりえるんだなあ・・・。

今までは、こういう類の本を見ると「またまた・・・・・」とか、あるいは『奇跡講座』に慣れてきたころには「この人は、分かってないなあ・・・・」と思ったかもしれないけれど、今日はどういうわけか「そういうことって、実際あるのかもしれない」「この人は本当にそれを経験したのだろう」「どんな経験が、訪れても全く不思議ではないんだなあ」「へえ・・・・」と、素直に感じられた。

その時の気持ちは、静かで、おおらかな感じがした。裁きや批判がなかったように思う。そこにあるものを(そして、私とは違った理解で書かれている本の著者を)批判せずに、かといって迎合するでもなく、「そういうことがこの人には、起こったんだなあ」と感じた。

私が見たのは、肉体の著者なのか、心としての著者だったのか。
見ていた私は、どの私だったのか。

(2023年6月 by maru )