「地上で最も神聖な場所」

私の父と母は絶望的に相性が合わない。人生の最終盤にして、このすれ違いぶり、息子としていたたまれない。何と言う哀しい運命の二人だろう・・と私は今まで思っていた。昨晩父から話を聞くまでは。

父86歳、そして母は1月生まれだから、もう間もなく85歳になる。見合結婚して実に60年近くをひとつ屋根の下で共に過ごしてきた計算になる。

結婚して数年して、姉と私が生まれ、母は子育てに奔走する。その小さな体で懸命に文字通り命がけで姉と私を育て上げてくれた。姉が小学生の時、原因不明の腹痛で動くことさえ出来なくなった時は姉をおんぶして長い坂道を登り、遠くの大学病院まで連れて行ってくれた。

私が高校、大学と連続して心を病んだ時は、もう気も狂わんばかりに心配して、ありとあらゆる手配・手当・手はずを整えてくれた。

そして私と姉が大人になり、独立した頃になって、両親の間に不穏な空気が漂い始めた。

私が子供の頃も、夫婦喧嘩はたくさんあった。しかしそれは、普通の夫婦間におけるいさかいの範疇内だった。それがこの晩年になって、母の長年の、積もり積もった積年の恨みが爆発し出したのだ。

母の不満を要約すれば、「ここまで父と父の家に対して誠心誠意尽くしてきたのに、感謝されるどころか、真反対の仕打ちを受けた、つまり悪いことは全部母のせいにされて、父の家からは嫌われ者となっている。それに対して父は一切母を弁護してくれない。このままでは死んでも死にきれない。父の家のお墓には絶対に入らない」というものだ。

実際、母はここ数年で、このストレスがあまりに酷くなり、泣きながら寝込むことも多くなっていた。

その母が昨年の秋口に病気になった。軽い脳出血だった。幸い短期間の入院で済み、リハビリができるまでになったが、その後も目の白内障や尋常ならざる腰の痛みと、まるで厄年のようにどんどん厄災が重なり、すっかり弱ってしまい、認知症の初期なのか、ちぐはぐな物言いも増え、父の介護なしには立ち行かない状態にまでなってしまった。

父もここにきてやっと気づいたみたいだ。つまり、母がいなければ自分は何もできない、と。

つまり、父と母は仲は悪くとも、実際のところ生きていく上ではどちらが欠けても生活出来ない、代わる者のいない存在だったのだ。

そんな感じの昨今であった、昨晩大晦日の夜。

父と母は食卓を囲み、一応の礼儀として、年末の挨拶を交わしたそうだ。父はおちょこに焼酎、母は小さなコップにビールを注いで。「今年一年お世話になりました」そうしたら、母が、あの気の強い母が、「父さん、私が病気になったとき、献身的に介護してくれてありがとう」とポロポロ涙をこぼし嗚咽しながら感謝の念を伝えたそうだ。つられた父ももらい泣きして涙が止まらなかったとのこと。

母も父や父の家のことをゆるせたわけではないと思う。今でも心の内で思うことはいっぱいあると思う。悔しい思いもいっぱいあると思う。

でも、心の底では、母は父を愛していたのだ、と昨晩のことを聞いて私は思った。そして、母のこれまでの父に対する怒りはまさに「愛を求める呼び声」に他ならなかったのだ。母は父に愛してほしかったのだな、誰よりも父のことを愛していたのだな、だからこそ、あんなに激しく怒っていたのかな、なんて思った。

地上における最も神聖な場所とは、往古の憎悪が現在の愛となった場所である。

(T-26.Ⅸ.6:1)


父も母もうまく行ってもあと数年で他界する年齢だ。その時は二人仲良く隣同士でお骨を並べてお墓に納めてあげようかな、なんて思った。


(2023年1月by DTA1973)