〈要チャレ№2〉の要約発表&感想

〈要チャレ№2〉【質問15】 罪悪感の本質について

【今回チャレンジされた方々の要約】

ご参加ありがとうございました(^O^)/

奇跡講座は、存在論的罪悪感を論じており、分離するためには、神の破壊を信じる事から来る。

この罪悪感は、理論的構築物ではなく、世界そのものが、存在論的罪悪感を投影し作り出されたものである。

この神からの分離は、幻想で、実在するかのように見せるには、強力な防衛が必要であり、また本当に、攻撃したかという疑問も埋没させた。

赦しのプロセスの実践は、存在論的罪悪感の側面を相手にし、間接的なアプローチで、直接的な効果があり、埋没している罪悪感を意識化していく。

これが、自我の戦略を無効にし、神からの分離は、本当ではないと認識することができるようになる。 

精神分析は結果であり、原因へのアプローチではない。

リリー

『奇跡講座』で言う罪悪感とは、「自分は神から分離し、神を破壊した」と信じることからくる「存在論的な罪悪感」のこと。この根源的な罪悪感が、外側に投影されて世界が作り出されたとされる。それゆえ、赦しはこの世界の中に私たちが見ている物事は自分の内側にあるものの投影だと捉える。そうした赦しのプロセスを通して、心の奥に埋没している罪悪感が次第に意識化され、癒やされていき、「神からの分離」という前提自体が実在しないと認識できるようになってくる。一般的な精神分析がとりあげる罪悪感は、人間同士の関わり合いに関連したものであって、「存在論的な罪悪感」の様々な側面の一つがこの世界に反映された結果にすぎない。

モリヤマ

「私は神を破壊し、神から分離した」という信念から来る根源的な罪悪感を、恐怖のあまり内側に保持できずに外側に投影したかに見えるものが、この世界である、と『奇跡講座』は言う。この熾烈な罪悪感によって、自我は幻想を実在するかのように見せかけ、内ではなく外に私たちが注意を向けるよう誘導する。しかし<赦し>をする中で、私たちは無意識の中に埋没させた罪悪感を意識化し、その源である「神からの分離」という前提が全くの偽りである、と認識できるようになる。つまり<赦し>は、潜在する存在論的問題に対して、現実的な効果がある。一方、一般に行われる精神分析は、自我の目的に資するもので、真の原因に向かわせるものではない。

ナイト

「神から分離する為には、神が破壊されなければいけなかった」

分離した個人と完全な一体性は共存不可能だからです。

この内側の罪悪感を外側に投影したものがこの世界である。

神からの分離は幻想であるが故に、何らかの強力な防衛を必要とする。

それが神を攻撃したことにまつわる罪悪感である。

この世界で「赦し」のプロセスを実践する時、私たちはあの存在論的罪悪感にアプローチしているのです。

世界というのは、罪悪感の投影である。

自我は常に心の中から目を逸らせて、この世界での問題に目を釘付けにさせますが、

赦しによって罪悪感の前提である「完全な一体性は破壊された」は全く本当ではないと私たちは認識できるようになってくるのです。

REVIVER

『奇跡講座』における罪悪感とは、私たちは神から分離し、そのために神を破壊したと信じることから来る存在論的罪悪感である。それは幻想が実在するように見せるために必要である。この世界で、他の人々との様々な関わりを通して〈赦し〉のプロセスを実践するとき、断片的で間接的なやり方とは言え、存在論的罪悪感の様々な側面を見るので、潜在する問題に対して現実的で直接的な効果がある。実在としてきたことは、無意識の中に埋没させているものの投影であると捉えることで、罪悪感が意識化され、自我は目を逸らすように仕向けてきたが、「私たちは分離していて、愛は破壊された」という前提が本当ではないと認識することができるようになる。

sakurah

『奇跡講座』が論じている罪悪感とは、存在論的な罪悪感であり、私たちが神から分離するには神が破壊されなければならなかったと信じることから来ている。
しかし単なる理論ではなくこの世界を作り出した。
そして世界は強力な防衛となり、分離を疑うことを忘れさせている。

私たちがこの世界を埋没させているものの投影であると捉えることにより、埋没している罪悪感を次第に意識化していく。
これは断片的で間接的なアプローチであるが、自我の戦略を無効にし、罪悪感の前提「分離と愛の破壊」は本当ではないと認識することができる。

精神分析が明るみに出そうとしている罪悪感は、この世界に属するものであり、自我の防衛に役立っている。

K.dash

      

【JACIMフォーラムに投稿された要約】

以下は、2023年3月に、同一の課題で行われたJACIMフォーラムの「要約 読書会」に投稿された要約です。

要約読書会においては、ワプニック博士が何を伝えようとしているかに耳を澄ませ、教材をしっかり読むという過程そのものが重要とされます。ですから、これらの要約も、「どれが正解か」という観点からではなく、それぞれの方々によるそうした努力の足跡として、ご覧になってみてください。

分離した個々の存在と完全な一体性は共存不可能ゆえ、
神からの分離を信じている心は神を破壊してしまったと
信じることから来る存在論的な罪悪感を意識下に隠している。

この罪悪感が心の外側に投影されたかに見えるものがこの世界で
あるが、分離は実在していないので、「存在するすべてである神」を
破壊した攻撃にまつわる熾烈な罪悪感が自我の防衛として必要とされた。

この世界に表出する問題のように見えるものを全て同様に、自分が無意識の
中に埋没させている原因のレベルの罪悪感の投影であると捉え、赦しの実践を
続けることにより、「私たちは分離していて、愛は破壊された」という前提は
まったく本当のことではないと認識できるようになる。

なお

『奇跡講座』における罪悪感とは単なる理論上の概念ではない。

この世界を作るためには神は殺される必要があった。一なる存在である神と多様性から成る世界は共存不可能だからだ。そして神を殺したという熾烈な罪悪感と、その罪悪感から逃れるための投影がこの世界を作り維持しているのだ。

罪悪感は通常は私たちの無意識下にあるが、日常生活の中での対人関係を赦すことにより接触することが出来る。〈赦し〉は直接的現実的な効果があるのだ。

すなわち〈赦し〉によって罪悪感を意識裡に遡上させ「私たちは神を殺して分離した」という前提そのものの誤りに気付き、その誤りの上に成り立つ世界は幻想だと認識することが出来るようになるのである。

DTA1973

『奇跡講座』での罪悪感というのは存在論的な罪悪感のことで、私たちは神を破壊して分離した個として存在している、と信じることからきている。

この罪悪感は心の内側に保持するにはあまりに恐ろしすぎるので私たちは投影して外側に世界を作り出し、防衛によりそれが単なる幻想であることに気づかない状態にしている。

この世界の中で他者との関わりを通して〈赦し〉をすることにより、無意識の中に埋没している罪悪感を意識化することができ分離は起こっていないということを徐々に認識できるようになる。

精神分析が露見させようとしているのは、自我が構築した世界の肉体をもった人間としての罪悪感であり、存在論的なものとは違う。

たんぽぽ

『奇跡講座』の罪悪感は、「分離している私が存在しているのは神を攻撃し破壊したから」と信じたことに由来する。
これが『存在論的な罪悪感』と呼ばれている。
しかし実際は、神からの分離は単なる儚い幻想に過ぎず、これを実在するかのように見せかける為に「存在するすべてである神」を破壊した攻撃にまつわる、熾烈な罪悪感を防衛として利用している。
他者との関係を通して『赦し』のプロセスを実践する時、断片的な方法とはいえ、実は私たちは『存在論的な罪悪感』の様々な側面を相手にしている。
これにより「私達は分離していて、愛は破壊された」という前提は全く本当のことではないと、認識することができるようになってくる。

peko

『奇跡講座』で言う罪悪感は、神から分離するために神を破壊したと言う信念に由来しており、これは心の中に保持するには余りに恐ろし過ぎるため外側に投影され、出来たのがこの世界だ。

神からの分離は幻想に過ぎないが、この幻想を実在化したままにするために、神を破壊した攻撃にまつわるこの熾烈な罪悪感が防衛となり、神からの分離そのものが疑問視されなくなった。

だが私達がこの世界で赦しを実践する時は、この無意識の罪悪感を間接的に意識化しているのであり、これが自我の策略(心の中の罪悪感から目を逸らし、この世界の問題に釘付けにしたままにする事)を無効にして、神からの分離は幻想である事の私達の再認識を可能にするのである。

クマ

『奇跡講座』のいう存在論的罪悪感は、神から分離することはできたが、それには神が破壊されなくてはならなかった(なぜなら、分離した存在と完全な一体性は相容れない状態であるから)と信じることから来る罪悪感である。

それは、心の内側に保持するにはあまりにも恐ろしいので、外側に投影した(かに見えている)ものがこの世界である。

またこの熾烈な罪悪感は防衛となり、神からの分離を疑うことを忘れさせた。
しかし赦しの実践により、外側の罪悪感は内側の罪悪感の投影だと捉えることで、分離は幻想だと認識することができるようになる。

精神分析が見ようとしている罪悪感は結果であり、『奇跡講座』が見ようとしている罪悪感は原因である。

アムロ

【感想】

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**次回の〈要チャレ№3〉は、12月10日に開始します。**