〈要チャレ №4〉の要約発表&感想

〈要チャレ№4〉【質問120】「真の共感」とは何ですか?

【今回チャレンジされた方々の要約】

たくさんのご参加、ありがとうございました(^O^)/

真の共感とは、心のレベルで、結果である分離を信じないこと。真の自己に対し何の影響も与えないと認識すること。そこにこそ力があること。聖霊と共に見ることを選び、自我による解釈を信じないという選択をしたなら、具体的な応答は自然に起こる。目指すべきことは、問題への答えが存在している心のレベルで相手と繋がろうとすること。心の中では、聖霊による真の知覚が明確になっているということで、その解釈は、選択することのできる「心の力」の中にこそあるからだ。

shizu

真の共感とは分離した神の子の真の必要を知覚することです。

真の必要とは、分離の想念がどのような形をとっていようとも、それを心の中で癒す必要のことです。

偽りの共感とは、自我による被害者と加害者を見るという知覚のことです。

それは問題を解決しないだけでなく、分離を強化するので、実際のところ問題を悪化させる方向に働くのです。

私たちが自分の間違った知覚について正直になったなら、どれほど自分が自我の思考体系を信じているかの全容が、自然に露見され始めます。

この認識に加えて、自我による解釈の信憑性を疑うことにより、私たちの知覚は徐々に変化していき、私たちの応答が聖霊により変容させられることが可能になります。

 REVIVER

真の共感とは、投影された分離の想念を、心の中で癒す必要のことで、想念は源を離れないので、問題のように見える状況を超えたところを見て、真の自己には何の影響も与えないと認識し、平安を選ぶ個々人の力で、愛の表現か、愛を求める呼びかけのどちらかだけ見て、心のレベルで相手とつながることである。偽りの共感は、被害者と加害者が、心の外に解決を見出す、心の力を否定する狂気であり、選別や、除外により破壊的に問題を悪化させていく。真の共感の実践は、偽りの共感と、原因と結果の混乱を認識し,自我の解釈の信憑性を疑うことにより、聖霊による変容が可能になり、心を癒す真の必要が満たされる。これが、真の問題と答えである。

リリー

分離した神の子の誰もが、分離の想念をその心の中で癒すことを必要としている。このことを知覚するのが「真の共感」である。そのように知覚したなら必然的に、問題への答えが存在している心のレベルで相手と繋がることを目指すことになる。

それに比して、「偽りの共感」は問題の中に被害者と加害者を知覚し、被害者のみを外的な手段で助けようとする。これは分離を強化し「心の力」を否定するので、実際には攻撃に他ならない。

私たちの実践は、自分の「偽りの共感」や「原因と結果についての混乱」(=自我による解釈)を認識し、「愛の表現か、愛を求める呼びかけか」のどちらかだけを見る聖霊の「真の知覚」で見ようと選択することから始まる。

モリヤマ

「偽りの共感」は、「被害者と加害者が存在していて、心の外に解決を見出すことができる」と信じ、心の力を否定し問題を悪化させます。
一方「真の共感」は、問題が存在するところである心の中に問題を見て、真の問題に対する真の答えを与えてくれます。

私たちが行う「真の共感」の実践は、自分が被害者と加害者を区別して見ていることに気づき、「どれほど自分が自我の思考体系を信じているか」を認識し、自我による解釈の信憑性を疑うことです。
それにより私たちの知覚は徐々に変化していき、「真の共感」が私たちを通して、私たちおよびすべての人々の真の必要を満たしてくれることでしょう。

K.dash

『奇跡講座』で言う「真の共感」とは、分離した神の子のすべての部分がもつ「真の必要」を知覚することであり、その「真の必要」とは「どんな形の分離の想念でも、それを心の中で癒す必要」のこと。状況がどう見えていても、「想念はその源を離れない」という原理を適用し、すべてを「聖霊による真の知覚で(=愛か愛を求める呼びかけ のどちらかとして)見る」という、心の選択する力から「真の共感」が訪れる。一方、「偽りの共感」とは、自我による「被害者と加害者を見る知覚」のことで、それは心の力を否定し分離を強化する。私たちの「真の共感」の実践は、自身の「偽りの共感」と、原因と結果についての混乱とを認識することから始まる。

ナイト

「真の共感」は、「分離の想念がどのような形をとっていようとも、それを心の中で癒す」という「真の必要」を知覚することである。そのためには外に投影されて問題のように見えている状況を超えて、心の中に問題を見て、これらが真の自己に対し何の影響も与えないと認識し、問題への答えが存在している心のレベルで、相手とつながることが必要である。まず、自分が自我の思考体系を信じているという全容を認識し、自我による解釈の信憑性を疑うことから始め、その結果、私たちの知覚は徐々に変化していき、私たちの応答が聖霊により変容させられることが可能になる。この聖霊の真の共感が「心を癒す」という人々の真の必要が満たしてくれる。

sakurah

真の共感とは真の必要を知覚することである。

そのために奇跡講座の原理の一つである「投影されて心の外にあるように見えるものは外側にあるのではなく内側にあるものの結果であり、その源を離れていない」を適用する。

問題のように見えている状況‐病気、あらゆる種類の欠乏、情緒的・心理的な混乱、自然災害など‐はどれ一つとして真の自己に対し何の影響も与えない。

偽りの共感とは自我による被害者と加害者を見るという知覚のことである。

自我による解釈の信憑性を疑うことで私達の知覚は徐々に変化し、私たちの応答が聖霊によって変容されることが可能になる。

聖霊は真の共感は心を癒すという私たちの真の必要を満たしてくれる。

ららら

「真の共感」とは「真の必要」を知覚し、心の中に問題を見ます。

この問題の真の原因と真の解決は真の自我に影響与えないことを認識した上で「選択することができる心の力」の中にあります。

「偽りの共感」とは、自我による「被害者と加害者を見るという知覚」それは分離を強化し、実際の問題を悪化させます。

「真の共感」の実践は「偽りの共感」を認識すること、自我の思考体系を信じる知覚を疑うことで知覚が変化し、私たちの応答が聖霊により変容されます。聖霊の真の共感は、「心を癒す」というすべての人々の真の必要を満たします。これが真の問題に対する真の答えです。

のっち

【JACIMフォーラムに投稿された要約】

以下は、2023年6月に、同一の課題で行われたJACIMフォーラムの「要約 読書会」に投稿された要約です。

要約読書会においては、ワプニック博士が何を伝えようとしているかに耳を澄ませ、教材をしっかり読むという過程そのものが重要とされます。ですから、これらの要約も、「どれが正解か」という観点からではなく、それぞれの方々によるそうした努力の足跡として、ご覧になってみてください。

「真の共感」は問題が存在するところである心の中に問題を見る。対して「偽りの共感」は心の外側の世界に被害者と加害者を見る。

「真の共感」は、病気や厄災など問題と見える事象を超えた所に、聖霊の知覚で「これらの事象は私の平安を取り去る力はない」と認識する。とにかく、一にも二にも「心のレベルで相手とつながろうとする」のが「真の共感」である。

「真の共感」を実践するには「偽りの共感」を認識すること、すなわちいかに自分があらゆる状況において「被害者/加害者」ゲームを見ているかを自覚することだ。

留意すべきは私達全ての人々の真の必要とは「心を癒す」ということ。
あくまで焦点は「心の中」であり外側の世界ではないのだ。

DTA1973

心の選択の力を忘れることを、心自身が決断し、その力を否定したままにする必要がある自我の心たちが、暗黙の合意のもとに、世界の中に被害者と加害者を見る知覚で、問題について応答しあい、それを実は、支持し合うことが偽りの共感です。

聖霊の知覚からくる真の共感とは、真の問題は心の中での選択と見るので、問題を心の中で癒す必要として知覚する応答となるので、分離を強化する応答ではなく、神からくる聖霊の愛により分離を癒す応答となります。

偽りの共感を正直に、聖霊と共に見ようとする意欲と、自我の解釈の信憑性を疑うことで、徐々に知覚が変化し、私たちの応答は聖霊により、すべての人の「心を癒す」必要を満たすことになります。

maru

「被害者と加害者を見る」という「偽りの共感」を認識することから「真の共感」は始まる。
病気や災害や心理的混乱など、問題の諸事情を超えた所を見て、それらが真の自己に何の影響も与えないと認識することが大切だ。
真の共感は「聖霊による真の知覚で見ることにする」という、心の中で下された選択からやってくる。

問題の解決は心の外で成されるという自我の嘘を信じないという選択をすること、「分離の想念がどのような形をとっていようとも、それは心の中で癒やす必要」があるという知覚が「真の共感」である。

真の原因と真の解決は、「選択することのできる心の力」、つまり悲嘆ではなく平安を選ぶという「個々人の力」の中にある。

peko

真の共感は心の中に問題を見て問題の様に見えている状況のどれ一つとして真の自己に対し何の影響も与えないと認識し、真の知覚は「愛の表現か、愛を求める呼びかけか」の二つのうちのどちらかだけを見る。

問題への答えが存在している心のレベルで相手とつながろうとする事が大切で真の原因と真の解決は「選択することのできる心の力」の中にある。

自分がどれだけ自我の思考体系を信じているか認識し疑問視する事により私たちの知覚は聖霊により変容させられることが可能になる。そのとき「心を癒す」という私たちおよびすべての人々の真の必要を満たしてくれる。これが真の問題に対する真の答えである。

Night

「偽りの共感」とは「被害者と加害者を見る知覚」であり
対象が限られる。

外的な物事に攻撃されている被害者が外的な解決を必要としていると信じる。
これは心の力を否定するので実際は攻撃であり、分離を強化し問題を悪化させる。

「真の共感」とは「分離の想念を心の中で癒す必要」を知覚することである。

聖霊と共に見るという決断からくるもので
「愛の表現」か「愛を求める呼びかけか」のどちらかだけを見る。

私たちが自らの「偽りの共感」、間違った知覚を認識することで知覚は徐々に変化していき、
私たちの応答が聖霊により変容させられることが可能になる。

そのとき「心を癒す」というすべての人々の真の必要を満たす真の答えがもたらされる。

たんぽぽ

真の共感は、病気や欠乏や災害等の外界の問題は、真の自己に何の影響も与えないと認識し、心の中で相手の真の自己と繋がる事である。真の原因と解決は選択可能な心の力の中にあり、真の共感は聖霊の知覚で見ると言う心の決断により可能になる。

一方偽りの共感は、被害者と加害者が存在して、外的な解決の必要があると言う自我の知覚であり、心の選択の力を否定して、分離を強化し問題を悪化させる。

真の共感の実践は、この偽りの共感に対する正直な自己認識に始まり、自我の思考体系を信奉している自覚に加え、自我の解釈の信憑性を疑う事で知覚が徐々に変化する事により可能となり、その時聖霊の愛は最も愛情深い形で自然に表現される事になる。

クマ

真の共感とは、分離の想念の形態に関わりなく、それは真の自己に対し何の影響も与えていないと認識することです。

偽りの共感とは、「相対する者達が存在するので、形態において問題を解決する必要がある」と信じることです。心の力を否定するので実際には攻撃であり、分離を強化し問題を悪化させます。

真の共感の実践は、偽りの共感を認識し、間違った選択をしたと自覚することから始まります。聖霊と共に見るなら自我の思考体系の全容が露見され始めます。自我の信憑性を疑うにつれ私たちの知覚は変化し、対応は聖霊により変容させられることが可能になります。この時、心の中で相手とつながり、心を癒すという私たちの真の必要は満たされます。

ひょうたん

問題のように見える状況(病気、欠乏、災害等)は
心の内側にあるものが投影された結果で、
真の自己には何の影響も与えないと認識し、
心の中で真の知覚で見ると決断し、
「愛の表現か、愛を求める呼びかけか」のどちらかだけを見るなら、
具体的な応答は自然に起こる。

これに対し、偽りの共感は、
被害者と加害者を見るという知覚で、
外的勢力(病気、他者、大惨事等)により攻撃されてる被害者を見て、
心の中の選択に気づかないまま、
外的な解決が必要とみたり、
自分がそれを提供できるとみたり、
特に、加害者を除外し、彼らを同情に値しないだけでなく処罰を受けるべき者とみる。

心の力の否定は攻撃で、
分離を強化し、
問題は解決どころか悪化する。

レモンテイー

真の共感は、どの状況も真の自己に対して何一つ影響を与えないという認識により、分離した神の子の全ての真の必要(心の癒し)を聖霊と共に見ようという心の選択による知覚です。

一方、偽りの共感は、被害者と加害者を知覚して外的解決を求める、心の力を否定した攻撃です。
この認識は「共感する」の本当の意味を知らない私達にとって、自我の解釈から一歩退く良い機会となります。

実践では、外的解決策を一旦脇に置き、自らの偽りの共感と原因と結果についての混乱の認識から始まります。自分の誤った知覚を正直に見つめ、疑うことで知覚は徐々に変化します。
真の問題に対する真の答えとして、私達の応答は聖霊の愛の表現として自然に起ります。

シャンティ

真の共感とは「真の必要」を知覚することである。
「真の必要」とは、「問題が存在する心の中で癒す必要」のことである。

問題のように見えている状況は、真の自己に対し何の影響も与えないと認識し、
悲嘆ではなく平安を選ぶ「個々人の力」の中に解決への道が開かれている。

真の共感の実践は、自らの偽りの共感に気づくことから始まる。
偽りの共感は、「被害者と加害者を見る知覚」であり、心の外で解決を見出そうとする。
これは心の力を否定するので、実際には分離を強化させ、問題を悪化させる方向に働く。

外的な援助を除外するものではないが、聖霊の知覚を通し、問題への答えが
存在しているところで相手とつながることが、真の共感である。

kiseki

真の共感
「聖霊による真の知覚で見ることにする」という心の中で下された選択からくるもの。
「愛の表現か、愛を求める呼びかけか」のどちらかだけを見るという真の知覚の上での応答となる。

偽りの共感
「被害者と加害者が存在していて、心の外に解決を見出すことができる」と二人が合意すること。
これは心の力を否定し、分離を強化し、問題を悪化させる。

「真の共感」の実践は、まず間違った知覚(原因と結果についての混乱)を認識すること。
知覚の変化と共に「真の共感」が可能になった時、
「分離の想念がどのような形をとっていようとも、それを心の中で癒す」という私たちの「真の必要」を満たしてくれる。
これが真の問題に対する真の答えである。

MERRY

偽りの共感の特徴は「被害者と加害者が存在する」「問題を解決する方法は外的な助けである」「その関係から除外されている者がいる」などであり、それは心の力を否定し、分離を強化する自我の知覚からくるものである。

真の共感は分離した神の子の全ての部分が持つ真の必要(様々な形で現れる全ての分離を、心の中で癒やす必要)を知覚する。

実践では、まず自分の偽りの共感と原因と結果についての混乱を認識する。更に自分がいかに自我の思考体系を信じているということが露見するにつれ、自我の解釈について信憑性を疑うこととなる。

これにより、私たちの知覚は徐々に変化し、その応答が聖霊により変容させられることが可能になる。

ふうせん

「真の共感」とは、問題の原因を形ではなく心の中に見て、それを癒す必要を知覚することです。
外的な方法で相手が助かるのを手伝うのではなく、真の原因と真の解決が存在する心のレベルで相手とつながり、「聖霊による真の知覚で見ることにする」と心の中で決断すれば、私たちの応答も自然と変容します。

実践では自分の間違った(自我による被害者と加害者を見るという)知覚を正直に見つめ、それがいかに狂っているかを認識することで、私たちの知覚が徐々に変化していき、聖霊の愛は流れるがままになっていきます。
「真の共感」は、すべての人々の心を癒すという真の必要を満たします。これが、真の問題に対する真の答えです。

アムロ

真の共感とは、分離した神の子のすべての部分がもつ分離の想念を心の中で癒すという、真の必要を知覚することである。
その共感は聖霊による真の知覚で見るという決断からきて、外的な状況はどれも真の自己には何の影響も与えないと認識すれば、具体的な応答は愛情深い形で自然と起こる。

偽りの共感とは、外的な問題の加害者と被害者を見る知覚であり、二人の者が合意して心の力を否定し分離を強化する。
その徴候として助けを受けるに値する者が選別され、他の者が除外され処罰の対象にもされる。

偽りの共感を認識し、原因と結果の転倒した知覚を直視し、自我の解釈の信憑性を疑うことで、聖霊による真の共感がすべての人々の心を癒してくれる。

yukihide

「偽りの共感」は、特定の者たちの中の特定の種類の問題に目を向ける。外界に翻弄される被害者を知覚し、特別な外的な助けが必要であると見て、特定の必要を満たすためにつながろうとする。

分離と除外を前提とする自らの「偽りの共感」の間違いに気付き、問題のように見える外的状況に平安を左右する力はなく、平安を選択できる心に力があると見ようとすることで、「真の共感」の実践が始まる。

「真の共感」は、全ての人々がもつ「真の必要」を知覚する。それは、分離の想念がどのような形をとろうとも、それを心の中で癒す必要のことである。誰も除外しない聖霊の「真の共感」が、分離した心を癒し、全ての人々の「真の必要」を満たしていく。

pallaksch

「真の共感」は、相手の問題と見える状況を問題として見るのではなく、聖霊と共に「愛の表現か、愛を求める呼びかけか」のどちらかだけを見る。そして問題の存在する心の中で相手とつながることで聖霊の愛が最も助けになる形で相手に流れていけるようになる。

「偽りの共感」は、被害者と加害者を区別し、被害者には外的な解決策が必要であると信じ、自分を「解決策を提供できる救助者」とみなす動機となることがある。心の力を否定し、分離を強化する「偽りの共感」は攻撃にほかならない。

聖霊により変容させられることが可能になったとき、聖霊の真の共感は「心を癒す」というすべての人々の真の必要をみたし真の問題に対する真の答えが得られるようになる。

ららばい

真の共感とは、心の外側にあるように見える具体的な状況そのものではなく心の内側に癒す必要性を見る知覚のことである。問題のように見える状況は真の自己に何の影響も与えず、真の問題解決は平安を選ぶ心の力にこそある。よって、真の共感には聖霊による真の知覚で見ることを心の中で選択しようとする意欲が必要である。しかし、自我により被害者と加害者を知覚する偽りの共感は、心の中から目を逸らし心の力を否定することで分離を強化する方向に働く。私たちが真の共感を実践するためには、まずは自分が心の力を否定、攻撃し分離を強化していることを認める必要と、問題を心の内側ではなく外側にみるという混乱に陥っていることに気づく必要がある。

カラコル

【感想について】

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なお、感想の投稿は一回のみとさせていただきます。

**次回の〈要チャレ№5〉は、2月10日に開始します。**